神奈川県民ホールに行った。
ここはとても夜景が綺麗なところで、とっても横浜らしい景色が見られるのだ。上の階に行けば行くほど眺めは良いのだが、コンサートの場合、上階であればあるほど舞台から遠い席ということになる。たはは。
そういうわけで、初の高橋優は3階席から見下ろす形で見た。ともちゃんと一緒に行った。
優くんの歌こんな好きだし、もうFCに入ろうと思いつつ、なかなか機会がなかったのだけど。ともちゃんが「すごい近所に来るよ」と教えてくれたのが数か月前のこと。「こんな近くに来てくれるんだったら行きたくない?」という話になった。
そもそも彼女は、ライブやコンサート等のイベントごとに参加することに関して、私よりもだいぶフットワークが軽いのだ(私は、よっぽど好きにならないと足を運ぶところまで行かない)。
確かに近い。家の前のバス停から10分だ。おまけにそのバスは、ともちゃんの職場のそばを通って我が家の前まで来るのだ。彼女の仕事が引けてから同じバスに乗り合わせてしまえば、余裕で見に行ける。
えいやっとFCに入ってチケットを申し込み、初めてだから素直に取れるもんなのかよくわからなかったが、ちゃんと取れた。しかしこのご時世では本当に開催するかどうかわからない。あまり喜びすぎないようにしつつ、楽しみにその週を待った。
3日前くらいに席がわかった。3階の端だったので、「ともちゃんスマン!くじ運・・」と言いかけたのだが、それに対する返答が大変ふるっていた。「大丈夫、座席があるって嬉しい」
そうだった・・と遠い目をしながら、コロナ前最後に一緒に参加したライブが大きめのハコのオールスタンディングだったことを思い出す。うん。座席は、必要だ。
それに、ホールツアーの首都圏公演が取れたんだから、素晴らしいことだ。ドームの3階とはわけが違うのだから、きっと肉眼で見えるはずだし。
当日は相当ひどい雨が降ってたので(昼公演の人たちはずぶ濡れになったことであろう)、何を着て行くか迷ったのだけど、朝ともちゃんに服を確認すると、SZの花柄ワンピだという。かなりゴキゲンだ。
ならばインド産で合わせるかと思い、こちらはヌキテパの刺繍ワンピで行くことにした。両者ともに下はデニム合わせ。足元が悪いから、用心というやつ・・まあ、概ね普段通りの格好だけど。
初めてなので、優くんのファンの人々はどんな方たちなのだろうか・・と様子を伺っていたが、やはりどちらかといえば若い感じの、女の人が多いようだった。男性も結構いたけど、思っていたほどの数ではなかったかも。さすがに10周年ということで、すでにファンコミュニティが出来上がってる感はあったが、排他的な匂いはしなかった。
行くまえに寄ったコーヒー店に、ツアーTを着たガチ勢と思われる人たちがたくさんいたが、みんなお行儀よく静かで、なんとなく品があった。新鮮だ。
そんな人たちと一緒に、ぞろぞろと会場に入った。しっかり感染対策をした上で、そこからはともちゃんともあまり会話をせず、席に着く。
初めての優くんは、ちゃんと肉眼で確認できたし、当たり前だがモニターなどないのだが、表情などの様子もしっかり分かった。新旧いろんな曲をギター弾き語りしてくれたんだけども、ちゃんと全部の曲が知ってる曲だったので、良かった。新しいの以外は、どの曲もラジオ「大倉くんと高橋くん」で一回は聞いたことがあった。
2人のラジオの最終回に作って歌ってくれた「開け放つ窓」では、舞台が緑のライティングで彩られて、エイターとしてはだいぶエモい瞬間であった。
中盤、好きな曲を次々やってくれたのでめっちゃ嬉しかった。「誰もいない台所」「少年であれ」の2曲が特に良かった。やっぱり目の前で本人がギターを奏で歌ってくれると、伝わってくるものがある。「少年であれ」の歌詞がとても好きなのだけど、もう中年なのにもかかわらず、胸の中の少年にしっかり届いたぜ!
そこからの「自由が丘」「ever since」の流れにはうっとりしちゃった。終盤はみんな立ち上がって盛り上がりを見せていた。ステージにたった一人でも、高橋優は最高であった。すごいアーティストパワーだった。うまく言えないのがもどかしいが、この世界に絶対必要な人、という感じがした。
そして色々制約のある中でも、大変ロックであった。開催してくれた側も、やって来た人たちも(我々ほど近所から来た人はたぶん少ない)、勇気がないと無理だったなという感じがした。でも勇気使った分の、いや使った分以上の元気を、しっかりもらって帰ることができた。
また絶対行こう!と言いながら、来た時と同じバスに乗って帰宅。
当たり前だが、マンボウのせいで飲食店などもう開いてない。なので、我が家で一緒にバスを降りて、ママカレー(夕飯時に留守をするとき家族に作っていくやつ)を、我が家にてともちゃんと一緒に食べたのでした。
優くんの余韻に浸りながら、途中からはリコカツを見ながら。最高の金曜日だったなあ。
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*今週の押しピン*
脳内の壁に刺さった瑣末な話題やささやかな出来事についてのメモです。
・ラジオもいいけど、生の芸はやっぱインパクトがあるという話
優くんのライブに行ったからではないが、自分で決めて足を運んだ初めてのライブって、いつだったかなあ?と思い出していた。そしたら音楽じゃなくて、大学2年の時にシアターサンモールで見た、よゐこライブだった。
大学からそこそこ近かったし、大阪にいるときずっとラジオ(ヤンタンあそびのWA)聞いててかなり好きだったし、いつか行ってみたかったの(だいたい自分の動機は、ラジオからであることが多い。ミスチル、オリラジ、関ジャニ∞、全部最初にいいなと思ったのはラジオだった)。
実際見に行ってみると、よゐこはラジオで聞いてるよりもっとシュールだったし、なぜか終盤、濱口さんが本気で歌い出したのでびっくりした。あまりに驚いたので、今となっては歌のことしか思い出せない。インパクトがあったなあ!
・IUFDの話
前述の通り、うっすらずっとよゐこ濱口が好きなので、先日のニュースはめちゃくちゃショックだった。
ちょうど自分が死産したのもこの季節だった。妊娠出産には、本当に何があるかわからない。
同じように母子手帳をもらって、ずっと経過が順調だったとしても、後期になってから突然心拍が止まることもある。異常を確認した時に先生が上げた「あっ」という声が未だに耳の底にこびりついている。あれをあの人たちも体験したのかと考えると、胸がつぶれそうになる。
そこから救急対応のところに搬送され、もう産声をあげることがないとわかっていても、陣痛を起こして分娩するのだ。そこまでは何もかも他の出産と変わらないのに、出生証明の欄には死胎検案が、母子手帳の最後にはIUFDの4文字が書かれる。子宮内胎児死亡。
もちろん母体の心身にかかる負担が相当なのは間違いないが、父親だって相当にしんどいはずだ。うちの場合は手続きなど旦那さんがやってくれたのだけど、本来なら幸せの絶頂で出生届を出しに行くはずの役所に、病室で慟哭している妻を置いて死産届を出しに行かねばならない、その落差は相当のものだと思う。もちろん他と比べるわけではないが、年をとってからの初めての子ならなおさらではないか。
私たちは幸せでした、というコメントが報道されていたが、本当にそれ以外に親として言えることなんてもうない。実感があったので、車を運転しながらニュースを知って、思わず泣いてしまった。
どうか彼らの赤ちゃんが安らかでありますように。また幸せがやってきますように。そう祈らずにはいられない。
・走馬灯の編集作業の話
そういえば、先日息子氏と、なぜか走馬灯の話をした。「おれ知ってる、それ漫画とかアニメとかで見たことある。死ぬ前に見えるってやつでしょ」と言うので、まあ主にそういう話として出てくるアイテムだなあという話になったのだ。
それで、「ママの走馬灯には、きっとあなたが登場するこの場面が入ると思う。まあまだまだ死なないけど!」と言いながら、とっときのエピソードを色々と話した。
息子が初めて言葉を話した日のこととか、何かで大きな成長を見せてくれた日のこととか。友達の家でもらってきたアーモンドフィッシュをお風呂に入れようとした時のこととか(息子は、お湯に入れると小魚がいい感じに戻って、お風呂を泳ぎだすと思ったらしい。そうではないことを説明すると泣き出した)。
ちょっとママ死なないでよ本当に、と言いつつ、息子氏はそれらの話を聞いて嬉しそうだった。恥ずかしそうだった。ああ、これ、この顔もちゃんと入れたい。
大事な場面がたくさんある。もっともっと色々、いいものを入れたい。
いい走馬灯を作れる人生を、これからも送れるといいなあと思った。
2コメント
2021.06.20 10:45
2021.06.16 03:13