冬も終わりと思いきや

コストコで買った不知火おいしいよ。

不知火って、品種はデコポンとほぼ一緒なんだと思うけど、デコポンは登録商標で、けっこう厳しい規格をクリアしてないと使えない名前らしい。

そのせいか、スーパーで不知火を買うと、当たり外れが大きいする。今年オーケーで買ったのは、全部思わず顔をしかめてしまうくらいの酸っぱさだった…

それでも懲りずに買うのよねえ。柑橘好きだから。

これは皮は硬いけど意外に薄く、手で剥けるし、薄皮から出さなくても美味しく食べられるのがいい。

実は、いま我が家は柑橘の在庫数がやばい。

まず、ふるさと納税できた伊予柑が、意外と遅かった。それがまだ残っているのだけど、不知火の誘惑に勝てずに買ってきてしまったのだ。そして、3月に入ってから来る心づもりだった土佐文旦が、なぜかもう来てしまった!

伊予柑は、ジューシーで美味しいのだけど、返礼品だからかどうかは知らないが、一個が小さい。そして薄皮から出しにくい。一度剥くと、どんなに手を洗っても皮の油分が手に残る気がするので、ティッシュケースやファスナーポーチの制作中は、あまり消費が進まなかったのだ。

やっと販売が一段落したので、食べようと思って伊予柑を剥き始めたはいいのだが。今度は発送の際に紙でできた指先のちっちゃい切り傷にしみるしみる!我慢しつつ、ぐぬぬぬ・・と剥いていたのだが、友人からの「ビニール手袋をして!」という激励が。

せっかくなので百均じゃなく、コストコで買ったニトリルのいい手袋をして、黙々と皮むきを続ける。

しかし、ここでなんと、長年の相棒のあいつに裏切られることになろうとは・・・!

いつの季節も、共に皮むきの日々を乗り越えてきた、愛用のムッキーちゃん。伊予柑のフサが小さすぎたために、勢い余ってスパッと滑った小さなフサ切り刃が、ニトリルの手袋を突き抜けたのであった・・・!!

流血の事態である。ひい。

さすがに心が折れた。まだこの後に、土佐文旦が控えているのだ・・。

しかも、家にあった絆創膏が、百均のしょうもないやつでな(旦那さんが買ってきて常備していたもの。私は薬品類や消耗品には機能性を求めて金をかける方なのだが、旦那さんはそうではない)。

膝を擦りむいたなどの場合に広い面に使用する場合はおそらく問題ないのだが、指先に巻いたらゴワゴワに硬く、それ自体が鋭く尖ったみたいな形状になり、今度はそれで顔の皮膚を引っ掻いて切ってしまった。散々だ。

さっさと治すべく、傷の全てにフルコートFを塗り、旦那さんに苦情を言って、良い絆創膏を買ってきてもらった。一箱600円もしたよと言われたが、それくらいなんだというのだ。QOLが金で買えるのなら安いものである。

それもこれも全て、柑橘のある豊かな生活のためだ。柑橘礼賛。


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*今週の押しピン*

脳内の壁に刺さった瑣末な話題やささやかな出来事についてのメモです。


・ヴィヴァルディの冬の話

息子氏といるときに何かで流れていたので、音楽の授業で習う有名な「春」じゃなくて、「冬」の方が好きだという話をした。冬生まれだからなのかなーとずっと思っていたのだけど、よくよく記憶を掘り起こすと、これの刷り込みだったらしい。

子どもの頃から好きだった。みんなのうたでかかってた。

ハイファイセットの「白い道」。女の人が一人で歌ってるバージョンのほうです。ちゃんと歌詞を見ると、死別の歌らしいことがわかる。この歌がとっても心にしみる今年の冬も、もうじき終わるのかと思うと、少し切ない。


・マリア・スクロドフスカの話

子どもの頃、みんな一回は読むと思うんですけど。偉人の伝記を漫画にしたやつ。

私のお気に入りはこれだった。

確か、ラインナップにはナイチンゲールとヘレンケラーが入っていた。女性で偉人とうたわれるのは、当時はその3人くらいのものであった・・というのも、なんだかなあ。

看護師となり博愛の精神で皆を助けたクリミアの天使。三重苦の障害を持ちながら活躍した福祉活動家。どちらも素晴らしい(ふたりとも裕福な家に生まれたことと、結婚しなかったことは共通点)。

その2冊に比べて、手に取る前にまず変だなあと思ったのは、なんで「夫人」なの?名前は?という疑問だった気がする。結婚した女の人は、フルネームで呼ばれずに、男性の名字に夫人(フランス語だからマダムか)をつけた名前で呼ばれるものなのか、と。ふうん、変だけどそんなものか、くらいにおもった、少女ゆきちゃんであった。

マリー・キュリーは、もともとはフランス人ではない。ポーランド人なのだ。名前もマリア・スクロドフスカという、聞いてすぐに東欧圏出身だと分かる名前で、ロシア支配下のポーランドに生まれた。

お父さんは物理学者、お母さんも教育者という家に生まれたのだけども(世界史をやっていないので詳細に関しては曖昧)、親が独立活動をしていたためにロシアから監視されていて、結果職や財産を失い、たいへんな困窮のなか、母や姉がチフスにかかって亡くなってしまう、という子ども時代が描かれていた。

少女ゆきちゃんが怖ろしいなと思ったのは、小学校ではポーランド語もポーランドの歴史も決して教えてはならず、授業もすべてロシア語で行わなければならないのだという場面。

でも先生たちはポーランド人としての誇りを持っているから、こっそり作った教科書で、マリア達に母国語と歴史を教えようとする。しかし、日本でいう憲兵的な、ロシア人の査察官が抜き打ちで見張りに来て、ポーランド語の教科書を隠していることが見つかったら、それはそれはおそロシアな目に遭うことはわかっているので、ドキドキして読んだ覚えがある。

マリアは学校で一番賢い子だから、ロシア人の査察官が来ると、先生に指名され、諮問に対して模範的なロシア語で、ロシアの歴代皇帝の名前を答える。子どもながらに大変な屈辱と恐怖に耐えてそれをやりおおせた後、どうしてこんなめに合わねばならないのかと泣くようなシーンがあった気がする。

少女ゆきちゃんは怖かった。もしいきなり今日から日本語は禁止なので、日本語で書かれた本や歴史の本は全部燃やしまーす!と言われたらどうしよう、と思った(でも、もっと大きくなってから知ったことだが、日本だって同じようなことを他国に対してやっていた)。

戦争というのは怖い。領土を侵すだけでなく、母国語を奪おうと、歴史を奪おうとし、その力に逆らおうとすると、場合によっては命を落とすことを覚悟せねばならないのだ。

マリアはその賢さをもって貧困から脱却し、フランス人と結婚してからもずっと、スクロドフスカの名前とポーランド人である誇りを捨てなかった。そして、初めて発見した元素に、ポーランドにちなんだポロニウムという名前をつけた。尊い。

尊いと思うのは、キュリー夫人がポーランド人だとみんなが知っているってことは、ポーランドはポーランドで、決してロシアにはならなかったということを、世界中が知っているということだからだ。それは、ノーベル物理学賞と化学賞のふたつを持っていることと同じくらい、偉いことだなあと少女ゆきちゃんは思った。

それから、こんなに離れた島国の、男性の名前ばかり並んだ世界の偉人セットの背表紙の中に、立派な科学者としての女性の名前が(たとえ夫の姓に夫人がついた形だとしても)キラキラと輝いてることにも。・・・さすがに今はマリー・キュリーの背表紙になってると思いたい。

何が言いたかったかというと、すべての争いや貧困、性差別なんかがなくなるようにと、いつだって強く祈っている。弱い方の人たちがいるということを、それを応援する気持ちを、忘れないようにしようと思っている。

力で奪おうとしても絶対に奪えないものがある。幼い心に影響を与えた本だ。



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