ひじパッチ

秋物を買ったのでアップしようと思い、写真を撮ってみたがいいが、一体どこにひじパッチがついているというのだ。まったく見えないじゃないの。

ちょっと明るく撮れるよう頑張ってみよう・・・と思い、撮ったのがこれ

どうかな・・かなり保護色ですけど、スウェード調のひじパッチがついてます。ギャルリーヴィーで一目惚れしちゃったロングカーディガン。

今年は秋の深まりが早かったんで、すでに大活躍中です。シャツやサーマルで出掛けて夕方冷える頃から羽織ったり、ワンピースの上にばさっと肩がけしたりとまあ、いろいろと。

パッチが保護色だからいい感じに綺麗めというか、ほっこりしないとこがいい。そんで紺のロングカーディガンだけど、ありきたりにならないのがいい。いいお値段だったので大事に着よう・・。


このカーディガンを着て、久々に電車で都会に出た。運動会の代休だというまこ先生と平日ランチの約束だったので。

久々にぴょんぴょん舎に行きたくて席を予約した!

行く前は、冷えてきたから盛岡温麺かなあと思っていたのだけど!席でまこちゃんの到着を待ってる間に、網をじーっと見つめてたら、だんだん肉を焼きたくなってきてしまった。

メニューを開くと、冷麺にサラダやナムルとちょっとお肉がつくセットがあって、とってもお手頃価格。銀座なのに!数寄屋橋交差点を見下ろす席なのに!!(笑)

というわけで、まこちゃんと昼から肉を焼くことに。おまけ程度の量かと思ったら、ハラミとカルビが3枚ずつ。もちろん冷麺は超美味しい。満足感の高いセットである。

最後に果物がちょこっとついてきた。

コーン茶と麦茶をブレンドした温かいお茶。気が利いている。。

小雨が降っていて、数寄屋橋交差点に人はまばら。ゆったりした時間を過ごしました。

そのあと、銀座をちょっとウロウロして、ちょっといい感じのダイヤのピアスは大体いくらくらいの値段なのかを見て回った(デザインだけではなく、店員さんにカラット数などちゃんとしたスペックを尋ねるまこ先生に本気を見た)。

それからルミネに行き、コートやストールを巻いたり羽織ったりして回り、大変たのしかった。何が流行っているのか、物価はどれくらい上がっているのか、よくわかる。

やはり、時々は都会に出ねばなるまい。



・・・・・・・・・


*今週の押しピン*

脳内の壁に刺さった瑣末な話題やささやかな出来事についてのメモです。


夏の残り分はそろそろ終わり。わりと真面目でオチのない話だけ残してあった。


・日常の煩わしさに耐えうる出会いの話

ひとと共同生活を送るというのは、煩わしいことも多い。

誰かと出会い、恋のときめきや熱が過ぎ去って日常が残ったとき、お互いを思いやってともにたのしく煩わしい日々を過ごしていけるかどうかは、実際そうなってみないとわからない。

結婚ということをしてだいぶ経った今、若かりし頃を振り返ると、色々な出会いがあった中で今の配偶者と縁があったことは、大変な幸運だったのだろうなと思える。

特に自分は元来気難しい方なので、他の人だったらきっとだめだっただろうなと思う。日常の煩わしさに耐えうる出会いを運よく掴み取れたということだ。

もちろん、人生にはいろんな大事件がある。大きな山場や試練を共に乗り越えられてこその家族だと思う。けど、大事件のない普通の日々を共にやっていけるかどうかだって、同じくらい大事なことだ。

ときどき、とにかく相手の容貌(顔とかスタイルとかパーツとか)がめちゃめちゃ好きで結婚したというような話を聞くけど、それは先々の日常のことを考えると、理に適っているのかもしれない。今の人がどうやって出会い、共に暮らすところにまで至るのかよくわからないけれど、私たちの頃とまだそう大差はないのだろうか。

・・・まったくまとまりのないことをつらつらと書いてきたが、なんで夏の最中にこういうことを考えたのかは、今では朧げにしか記憶にない・・・。

ただこの頃、離婚経験のある男性の話を聞く機会が偶々あり、そんなことは普段自分の生活では滅多にないことだったので、印象に残ったのかもしれない。


・属性と思考停止の話

人にはいろんな特性や属性がある。

ある時、とある大好きな友達に、ゆきちゃんってHSPだと思ったことある?と尋ねられたことがあった。彼女はとても繊細で思いやりのある人で、そんなに普段付き合いはないけれども、いつ会っても柔らかく笑っていて、話していて楽しい、心の美しいひとだなあと思っている。

彼女は、思い当たることがあって自分はもしかしたらHSPかもしれないと思い、ウェブなんかに載っている診断テストみたいなものをやってみたら、当てはまることが多かったのだそうだ。そしてこのブログを時々読んでくれているようで、きっとゆきちゃんもそうかも!というふうに思ったらしい。

・・・私には彼女と違い、がさつなところもたくさんあるので、多分そうじゃないと思うのだけど、ちょっと考えてみることにして、その場では返答は避けた。そして、次に会える時までに答えを用意しておこうと脳の隅っこにおいて、時々それを取り出して考えてみた。

その間、ひと月ちょっとだったと思うけども、現実の生活では(大したことではないにせよ)いろんな出来事があり、ちょっと属性や特性ということについて考えさせられることがあったのだ。

そして、次に彼女に会えた時に、考えたことを話したのだった(ちゃんと彼女は覚えてくれていたし、考えを棚上げしているあいだ忘れないでいてくれたので、嬉しかった)。・・こんなめんどくさい子と友達になってくれてありがとうと叫びたい(笑)


まず、私は自分の特性や属性について、あまり積極的に人に言わないようにしているし、人のそれもなるべくこちらからは詮索しないようにしている。相手からそういう話を振ってくれた時は別で、フラットにそういう会話を楽しんだり、信頼できる相手に手の内を見せて話す分にはあまり問題はないのだが、よほど親しい相手でなければこちらからそういう話はしない。

必要ない限りは、なるべく用語や言葉で定義したり、括ったりしないようにしている。掴みどころがなくて、一括りにするのがなかなか難しいからだ。ただ、そこに人がいて、その状態があるというだけのことだ。それに適切な名前をつけるのは難しい。

何がしかの自覚がある場合も、ない場合もあるだろうし。自覚があっても本人にとってはなんら問題がない人もいるだろうし、とても気にしている場合もあるだろうし。とってもセンシティブなことだ。

ただ、個々でそう判断したり定義したものを、相手に伝える分には問題ないと思う。それによって何がしかの配慮を求められたような場合は、もちろん協力したいと思う。それはとっても、ポジティブなことだ。

でもネガティブな側面もあり、人によっては弱みになりうることでもある。私はそっちの方が怖いので、あまり自分からは言いたくない。人間関係においては、相手の属性や特性を定義することは、思考停止を招くと思うからだ。

相手との間に何か問題や不都合が起きたとき、「〇〇だからしょうがない(自分には非がない)」と先方のせいにして、丸投げしてしまえる格好の材料となる。諍いの原因について内省の機会を持たずスルーできるので、とっても楽だろう。

でも、やられた側はたまったものではない。これまでの来し方において、自分はそういうネガティブな機会の方が多かったから、あまり手の内を明かさないようにしているのだろう。

たとえばまだ学生の頃、男と言い合いになった時に「生理前かよ」と言われたことがあった。自分は瞬間湯沸かし器並みに喧嘩っ早いので、思いつく限りの罵詈雑言で反撃したはずだと思うのだが・・記憶にはただただ虚しさというか、やりきれなさのみがいつまでも残っている。自分に生理がある限り、諍いのたびにそのせいにされるのか・・と思うとげんなりした(ので付き合う相手を変えた。そっちの方が早い)。

今はPMSという言葉が一般的になったけれど、きっと女と喧嘩になった時に鬼の首を取ったようにそれを言う男は、まだいるのだろうと思う。(などと書いていたら、ちょうど今新しく始まったドラマで、長澤まさみ演じるもうあまり若くはない女子アナの人が、モラハラPに「更年期かあ」と言われていた。タイムリーで驚いた)

たとえばHSPということにしたって、自分にデリカシーがなく誰かを怒らせたような場合でも、一切省みず「あの人はHSPだから気にしすぎ」というふうに片付けてしまう結果になることは多々あるだろう。自分はそんなふうに思考停止する側にはなりたくないし、逆に自分が周りにラベリングされるのも嫌なのだ。うっかりするとやりがちなので、気をつけるようにしている。・・・とまあ、そんなことを友達に話した。友達はちゃんと聞いてくれた。


さて、ちょっと話を戻そう。前述の友達と最初にこの件について話した後、2回目に話すまでの間に起きた、ある2つの出来事についてだ。特定を避けるため、詳細については差し障りのない範囲内でニュアンスを変えてあるところがあるとご承知いただきたい。


ひとつ目は、仮に行きつけのマッサージ屋さんでの出来事としてください。がま口制作でガチガチに肩が凝り固まってしまった時だけ行く、という設定で。

そこは担当制で、基本毎回同じ人が接客してくれるのだけど、ある時普段の人の都合が悪く、まだ20代半ばくらいの若い男の子が初めて担当に入った。

彼に受け持ってもらうのは初めてだったが、受付や予約などの事務処理をしてくれたことはあるので、それまでに少しだけ言葉を交わしたこともあったし、もちろんお互い顔見知りだった。明るく朗らかな印象の子で、決してそこまで悪感情は持っていなかったのだけども・・どうやら少し馴れてくると軽口を叩いたり、テンションが盛り上がって悪ノリする感じの人だったようで。会話の中で、これはかなり失礼だなあと思うことがあり、その場では一切顔に出さなかったけれど、帰り際には私はだいぶ彼に腹を立てていた。

思い返すとかなり矮小というかくだらないことなのだが、人によっては怒るんじゃないかと思う。

出身の話になり、彼は広島の人だというので、私はマツダ車が好きで、ずっとマツダの車に乗っているんですよと話したのだ。彼は少し驚いた様子で、へえ!?車詳しいんですか、と言った。僕は学生時代、地元のカーメンテナンスの店でバイトしていたので、車が好きなんですと。

車種を聞かれたので、今はアクセラに乗っていますと言ったら、もっと驚いたふうで、意外だなあと言った。うつ伏せだったので(さっきから一体何に驚いているのだろうか…?)と訝しく思いながらも、適当に相槌を打ちながら聞いていた。その後彼は、自分が将来乗りたい車の話をしばらくしていたと思う。ハリアーとか、ランクルとか、エクストレイルみたいなのに乗りたいですね!と。

ひとしきりその話をした後、彼はおもむろにこう言った。「いや〜でもアクセラに乗ってるなんて意外だなあ。意外とまともな車乗ってるんですね。軽自動車とかに乗ってるタイプだと思ってましたー」と。

前述の通り、私は瞬間湯沸かし器なので、カッとなったあと、ゴゴゴゴとなった。えっちょっと、どういうこと…??と。私がどんなふうに見えるかは彼の主観だが、こんな明らかに見下した言い方で伝えてほしくはないぞ。幸い、うつ伏せだったおかげもあり、なんとかスルーすることができた。でも、もうちょっとで言い返してしまうところだった。

「えー意外かなあ。そっかー。あなたは、わりと大きい車に乗りたがるタイプなんですね。小さい人って、大きな乗り物に乗りたがりますもんね!」と。

だいぶ危なかった。そしてすぐさま、そうしかかった自分を恥じた。20代の若造相手にスマートな言い返し方を思いつかず、本気でやり返しそうになったことにも、なめられ侮られたことにも怒りを覚え、修行が足りぬと情けなくなった。ともかく、沸いた熱湯を蛇口からジャバーとそのまま流し出すことは避けられたわけだ。

あぶなかった。大人としての品性を保てなくなるところであった。

さてその後、できればもう二度とこの人(仮に「若造」と呼ぼう)に担当されたくないな・・と思ったので、お店には申し訳ないけども、次の機会に元の担当者に戻った際、事情を説明したのだ。おそらく若造は、前回私を受け持った際、大変話が弾んで満足して帰ったと思っているはずなので、何かの時にまた付けられてはたまらない。ちゃんと言っておかなくては。

普段の担当の人について説明しておくと、自分より少し年上くらいの男性である。この人はこの人で、また少し年齢の割に幼いところのある落ち着かない感じの人なのだけど、結構長く見てもらっていて悪気のない人だということはわかっていたので、それなりに信頼していた。若造に結構な軽口を叩かれているところを見かけたことがあるのだけど、だいぶ人生の先輩だろうに、腹の立つことはないのだろうか・・?

と、思っていたので、前回の経緯を説明し、普段から彼はあなたに対してもちょっと失礼な言動が目立つと思うのだけど、どうなんでしょうかと聞いてみたのだ。すると、半分笑いながらの彼から、こんな答えが返ってきた。

「いやあんまりダルい時はもう無視してますよ。あいつ発達障害だと思うんでー」

えっ、と驚いた。まるでザバッと頭から冷水をかけられたような衝撃だった。

それは、本当に障害を抱えて生きづらさに悩んで困っているような人とか、いろんな人に対して失礼だと思いますよ、と咄嗟にやんわり言っておいたのだけど、多分私の込めた本当に伝えたいことというかニュアンスは受け取られず、彼はきっとスルーしたであろう。

確かに、若造の言動には問題がある。でも私がその言動について指摘したのは、自分が今後も問題なく通い続けることができるよう、要望を伝えたかっただけであって。その人となりについて、いきなり「障害だと思うんで」と断じて、共に嘲笑する方向に持っていこうとする展開になるとは、全く予想していなかったのだ。

半笑いで見下したような様子でそれを言うのを聞いて、それまで一切悪気のない人だと思っていたので、かなりショックだった。その時感じた大きな違和感がきっかけで、その後の彼の言動にも色々と思うことがあり、結局もうそこに通うのはやめてしまった。

・・・・というのが、ひとつ目の出来事だ。


ふたつ目は、昔からの知人友人との間に起こった出来事である。

話の始まりは、少し前のことになる。大学時代に付き合いのあった友人が、とある共通の知人のことを、実はあまり好きではないと打ち明けてきたのだ。今後食事会などで一緒になりたくない、彼女を呼ぶ時は自分のことは誘わないでほしい、と頼まれた(以後、「友人」「知人」と呼称する)。

そのふたりは普通に仲がよく、賑やかで楽しげな人たちだなあと思っていたので、ちょっと驚いたのだが、承知したと伝えた。一応理由を聞いてみると、「彼女は障害者に対する差別意識が強い人だから」とのことだった。

友人には軽い障害を持つ親族がいて、とても心配し、いつも大事に思っていることは以前から知っていたので、ああそういうことかと得心し、それ以上は聞かなかった。よほど嫌だったのだろうから、今後その知人のことを話題に出すことは避けようと思った。

そして、しばらく連絡を取る機会がなく、時間が過ぎて、コロナなどもあり、SNSで時々お互いのハートにポチッといいねするくらいの、少し疎遠な感じになりかかっていた。

そんなある時、別の同級生から食事会に誘われ、都内で集まることになった。その、彼女の嫌いな知人も参加するという。友人は面子に入っていなかったので、あまり気にすることなく参加した。

久々に会った知人は、自分がちょっと苦手なタイプの、いわゆるお受験教育ママになっていた(これもラベリングだなと思いながら書いているが、もちろんその中にもいろんな人がいることは承知だ)。大学時代にはタチの悪い酔い方をして人に妙な絡み方をするちょっと変わった子だったのに、親になると変わるものだな・・と思った。

彼女はすごく頑張っている様子だった。自分の描いた未来の絵図があって、そこに家族を含むすべてのピースを計画的に当てはめていけるよう、いろんな努力をしている感じだった。コネクションを作るために上の学年の母親と仲良くなろうとしたり、親しくなったはいいが自分が必要とする情報を集める際に役に立たないとわかった人材とは距離を置くことにしたり、そういうことを饒舌に話した。

それから、希望の進路に息子が進めるよう、現時点で苦手なことをこの期限までにできるようにと重点的に指導したり、先生に指摘された部分に力を入れて改善させたり、そういう努力をさせているようだった。その程度の得手不得手なら個性の範囲内じゃないか、無理して矯めるようなことではないのに・・と思うような内容だったが、希望の進学先に行くためには、それをいついつまでにクリアしておかねばいけないというのがある様子だった。

そして、明らかに向いていなさそうな下の子にも、同じことをさせるつもりの様子だった。どうしても同じ学校に入れたいらしい。それらの話を、ふむふむと頷いて聞いた。育児方針は人それぞれだ。

自分は、息子の幼稚園時代には、なるべくそういう・・上昇志向でいくと決めて頑張っているお母様方とは、一定の距離を置くようにしていた。全体的に発達が遅かった息子は、明らかにお受験などに向いていなかったし、療育に近いこともやっていたので、ちょっと頑張る目線の先が違ったのだ。

息子についてはそれなりに悩んだ時もあったが、まあいつか伸びる時が来たら伸びるだろうし、伸びなくもて面白い子だから可愛いし、まあそれはそれでいいかなと思っていた(結果、中3になる現時点では毎日楽しく学校に通い、友達も多く、成績もごく普通である)。

でも自分は心が弱い方だし、一応そこそこいい高校から大学に進学したほうなので、私立や国立の名門小に入れることを最善とする価値観のお母様方とうっかり仲良くなったりして、よその子と息子を比べるようになったら最後、絶対ブレてしんどくなると思ったのだ。

ということを、話の流れで自分も話した。そうすると、彼女は話の合間に一生懸命相槌を打ってくれた。

うちの子はいろんなことが遅くてね、のんびりしていたから。「そんなことないよ〜!」あまり向いてないと思ったから無理させなかったんだ。「そんなことないよ〜〜!」それ以前に落ち着いて集団生活を送れるようになってほしくて。「そ〜んなこと、ないよぉ〜〜!」

私は彼女の目をじっと覗き込んで言った。きっと伝わらないだろうな、と思いながら。

「あのね、そういう子が、いてもいいんだよ。うちの子は、とっても面白くて楽しい息子だよ。」と。

まあ当たり前だが、それに対して彼女が「そんなことないよぉ」と返すことはなかった。少しキョトンとしていた。きっと何かをフォローしてくれるつもりだったのだろうが、あまりに的外れだった。彼女は今後も弛まぬ努力で、理想の未来図をしっかり現実のものにしていったらいいと思う。(そして自分は、いつの間にか前よりも、ブレない強い母親になっていた。)

帰ってからドッと疲れて、なんとなく彼女を嫌いだと言った友人のことを思い出した。その気持ちがとてもよくわかったのだけど、今連絡を取ったらきっと悪口みたいになってしまうと思い、しばらく間を置くことにした。(その友人は、甘いことばかりではない人生の日々の中でも、自分の美しいと思うものを大切に心の中に仕舞って、汚さずに持ち続けることができる人だと私は思っている。だから、美しくないやり取りはなるべく避けたい相手だったのだ。)

で、夏頃、他のついでもあったので急に話したくなり、連絡をとることにした。なんとなくあなたの言ってたことがわかったよ、と経緯を話したら、「そんなことないよぉ!の口調までリアルに想像できる」と笑っていた。

以前まだ彼女たちに交流があった頃、まだ子どもを持つ前のことだと思うのだが、お互いの仕事の愚痴などを話していた際に、次もし異動するならどんな部署で働きたいかと尋ねたら、知人は堂々とこう言い放ったのだそうだ。

「次は絶対、障害者のいない職場がいい!二度と一緒に働きたくない!」と。

どうやら、障害者採用のある部署に配属になって、いろいろ面倒で苛々させられることが多く、仕事がしにくいと感じたようだ。自分達がスタンダードであるという前提のもと、なんらかの特性があると思われる人たちのことをだいぶ見下している様子だったようだが、私も友人も、いわゆる定型発達からは少し外れた大切な親族が身近にいたわけで・・。彼女にとても腹を立てた気持ちが、痛いほどわかった。

その話を聞いた後では、あの相槌にも納得がいった。彼女にとって障害者は「いてはいけない人たち」なのだと。

そんなわけで、会食でそんな会話をしたのを機に、自分も彼女のことを、あまりこれ以上付き合いたくない人だなと感じた。自分にとっての邪魔なものを見下して排除しようとする前に、内省すべき点がきっとあるんじゃないかと思うのだけども、たぶん彼女は自分にとって不愉快で都合の悪いことはすべて、相手の特性にしてしまい思考停止することのできる人なんだろう。


以上2つ、いとも簡単に人物にラベリングし、そのことに一切疑問を持ってない人に触れたという出来事で、これらの体験は数カ月が過ぎて季節が変わった今でも、私の脳内にでっかい押しピンとなって今も刺さっている。だから、ちゃんと書いておこうと思ったのだ。

もう40代、でもまだ未熟な40代だな・・と自分でも思うのだけど。でも、この2件の登場人物は(若造の人を除き)皆同年代かそれ以上の、いい年をした大人である。自分は恥ずかしいことだと思うが、いろんな40代がいるもんだ。

いやしかし、意外と今は若い人の方が、こういう決めつけ方は恥じるべきよくない行為であるという価値観がしっかり定着していそうな気もする。多様性ということをちゃんと道徳の時間に倫理として教えられているのでは・・いやどうかな。うーん。

もちろん、この話には何が正しいかなんてことはなく、それぞれの感じ方によって、正解は一つではない。受け手一人ひとりにきっとそれぞれの思うことがあるだろう。それもまた、多様性だな。


嬉しかったこともある。私のこの面倒な一連のやつを、ちゃんとその都度まじめに聞いてくれて、こういうセンシティブな件に関するそれぞれの感じ方や意見を話してくれる友達が、周りにいるってことだ。40代にそういう人が周りにいるということが、人生の得難い宝であるなあと思った。



2コメント

  • 1000 / 1000

  • yuki*

    2022.10.26 01:09

    @tomo♪どうもありがとう!自分でも読み返して思ったんだけど、前者の男性は悪口としてそれを使っているし、後者の女性は蔑視することで不満を発散しているので、微妙にやってることは違うんだけど、同年代の人が大っぴらに平気でそういうこと言うなんて信じられなかったもんだから、こっちはびっくりしちゃったんだよね。その人たちもきっと普段は問題を起こすことなく仕事に育児に邁進しているのだろうし、単に信念や価値観の違いなんだと思うわ、本当に。押し付けないようにするにはそっと離れるしかないのよね・・・。
  • tomo♪

    2022.10.25 07:57

    今回の押しピン、ぐぐっとささったわ。色々な考えがあっていいのに、これしか正解はありません!って感じがすると引いちゃうし、断定されるのも押し付けられるのも嫌だなーって思っちゃう。ゆきちゃん、ぶれない強い母になってて良かったね!みんな自分の信念でいいよねー。肘パッチ、さりげなくてとっても素敵だったよー♡いいものはいい!