シーズン柄はときめくね

やっとのことで、がま口新作の話題です。ツイードが思ったより端処理の難しい素材だったもんで、10月をそれだけに費やしてしまった!

そのぶん、スケジュールが全部後ろに倒れている。どうしたものか。

今年は思い切ってぽこぽこウールをやめるか・・とか考えてみたのだけど、昨日みえちゃんに会ったら、ちょうど去年の今頃販売したやつ(ライトグレーのぽこぽこに、内側がメイモリスのすごい可愛かったやつだ)を使ってくれていたので、こりゃ毎年楽しみにしてくれてる人が一定数いるに違いない・・と思い直す。やるならば、さっさと取り掛からねば!


さて今回は、この秋冬に出たばかりのタナローン生地にコツコツ芯を張り、一気に形にしました。まずは、上のタイトル画に使ってるクリスマス柄。ウィルトシャーにキラキラ星プリントが入ったウィルトシャースターズ(そのままやん!)。


赤いのはもちろんとってもクリスマスらしくて可愛いんだけど、こっちのミルキーパープルが入った配色の方も可愛い。パッと見、ブルーよりも紫の印象が強いです。

形は、そのままオーナメントにもなりそうなハマグリ型。

この形、口金の枠に対してちょっと大きめの袋を、ボンドが乾き切る前に目打ちでこつこつとギャザーを寄せながら入れていくので、本当に手間がかかってるんですよう・・・。でもすごい好きな形なんで、ついこの季節になるとクリスマス柄で作っちゃうのであった。

まあ、ウィルトシャーがベースなんで、そこまでクリスマスっぽくもなく、ずっと使えそう。今年はクリスマス生地で仕入れたのは、この柄だけです。ほかにも可愛いのはあったけど、がま口に使うとなった時にあんまりピンと来なかった。


次は秋冬追加柄のものたち・・・

オランダのちろちゃんも気にしてくれている(!?)デルフトデイ。デルフトタイル柄です。

この秋冬の追加柄たち、テーマは「FLORANATION」だそうで。ヨーロッパの国々と、そこに根ざした文化や芸術、風景や建築などを、花柄で表現したラインナップとなっております(たぶん合ってる)。デルフトデイは、オランダのタイル柄。

アーチ型のフレームの中に、野の花が描かれててかわいいの。ピンクベージュ地の方は、アーチが草緑色で、柄がはっきりしてます。イエローベージュ地のアーチはもっと青っぽい、青磁みたいな色です。お花の色つけも淡くて、これは好みが分かれそう。でも、どっちもすごく可愛いです。小梨型のミニパースに仕立てました。

柄の持つ独特の清潔感を活かしたかったので、口金と内布はシルバーを選んだんですが、大正解だったな。うん。


次はノルウェーの花柄。

ローズマリング。ノルウェー発祥の伝統的な民衆絵画技法を意識した柄。確かに、こういう塗り重ねた感じのトールペイントって見たことあるかも。シンメトリーのすごく綺麗な柄なんだけど、どこかちょっとだけ素朴というか、親しみを感じるとこあります。

これは、濃色と淡色とで、全然雰囲気が変わる柄・・!もちろんどっちの配色のも自分の好みでセレクトしたんだけども、自分が使うとしたらどっちにするか聞かれたら、相当迷うだろうなあ。クラシカルな、秋冬にぴったりのいい柄。

人気の洋梨ポーチ型に仕立てました。


さて、小さいのから順に紹介してきたけど、最後は定番のめがねポーチ。そして今回、こちらの品だけ内側にリネンを使いました。

フェアリーテイルフォレスト。

ドイツの絵本にインスパイアされた魔法の森とのこと。ってことはグリム童話とかかしら。いろんな花が咲いてて素敵な森ですな。

これも全然印象が違う!

ブラック地の方は魔女の庭。グレージュの方は精霊の庭。ってくらい違う。このタイプだけ今回、内側をメタリック生地じゃなくてリネンにしたのは、この表柄には絶対濃いピンクが似合うと思ったからです。

どっちも同じ色のを使ったはずなんだけど、写真に撮ると濃色の方が少し赤っぽく見える。

あー可愛い。この柄、どの花もきれいだけど、わたしはヒペリカムが好きなので、そこばかり見ちゃう。ちょうどいい色のリネンがあってよかった。

こっちも可愛いです。中身は赤でもいいかなと思ったけど、アクが強くなるかなと思ったので、結局ピンクにしてよかった。

こんな感じの秋の草花柄が今回の販売ラインナップです。週末にかけて検品と袋詰めをしなくっちゃ。



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*今週の押しピン*

脳内の壁に刺さった瑣末な話題やささやかな出来事についてのメモです。


夏の残り分もあと少しで終わりです。


・関東だきの夢の話

これは、まだ9月に入ってすぐの、まだ夏がしっかり居座ってた頃だったと思うのだけど、おばあちゃんが夢に出てきた。今年の1月に亡くなってから初めてのことだった。

土間から続く上り框からのれんをくぐって入ると、夢の中ではまだおばあちゃんが生きていて、あの懐かしい家の台所で、関東だきの具を切っていた。

おばあちゃんはもう結構歳をとっていて、ごぼ天を斜めに切るところから、うまく手が動かなさそうなのでまな板の前を代わった。そのごぼ天は、なぜか複雑に何股にも分かれた変わった形をしていて、でこぼこと連なった生姜にも似た、大きい立派なものだった。それを苦心して、いつも関東だきに入っているあの形に切ろうとするんだけど、なかなかうまくいかず。

私が頑張っている間に、おばあちゃんは後ろのコンロで煮汁の方を用意していて、すでにいくつか他の具が入っているようだった。大根とか、丸のままのじゃがいもとか。

そんで、練り物入れると汁が濁るんだよなあ・・それでなくてもおばあちゃんちの関東だきはセブンのおでんとかと違って甘くて、あんまり好きな味じゃなかったなあ、と匂いと味を思い出した。

上京して、コンビニおでんを初めて食べた時、美味しくてびっくりしたんだよなあ!と思いながら、ごぼ天を煮汁に投入した。そこで目が覚めたのだ。

ああ、食べとけばよかった。。もうちょっとだったのに!

甘くて濁った関東だきの味、もう二度と食べられない。と思ってめそめそと泣いた。5時くらいだったので泣き寝入りで二度寝したのでした。

まだ暑い季節の、汗ばむような明け方に見た夢だった。あれから季節は過ぎて、もはや関東だきの恋しい季節になった。食べたかったなあ。あーあ。

そういえば最近、二宮くんのラーゲリの映画の宣伝がぼちぼち始まっているので、見に行かねばならないなと思っている。おじいちゃんがラーゲリから帰ってくるのをおばあちゃんがちゃんと待っていたから、今の自分や息子氏がいるのだ(ケンティーの坊主頭もちょっと見たい)。


・執着からの解放か!?の話

夏頃、結構長いことブログの更新をしなかったので、この押しピンを今ごろまで消化することになっているのだが。ついにこの、言語化に対する並々ならぬ執着から解放される時が来たのか、と思った。何も書かなくていいということは、そういうことなのかなと思ったのだ。

ついに言語化を諦める日が来たのか。

今までしつこく諦めないでしがみついてきたのだが、ついに枯渇した気がする。もうだめかもしれん。と思ったのだ。

そもそも、なんでこんなに書くことに執着があるのか、きっかけは何だったのか考えてみた。いくつくらいの頃からだったろうか。読む方は好きだったし、作文も好きだったけど・・と思い返してみて、思い当たることが2つほどあった。

ひとつ目の出来事は、たしか高1の時のことだったと思う。現代文の先生に、小論文だか作文だかをすごくほめられたのだ。

高校に入った途端、何か学習の壁みたいなものにぶつかり、完全にやる気を失ってしまっていた。入った時に上から5番だった成績が、半年後には下から3番目くらいになり、当時自分は完全に落ちこぼれかけていたと思うのだが。当たり前だが親も教師も誰も誉めてくれない中、なぜか一人だけ、その現国の先生だけが、手放しで私のことを褒めてくれたのを覚えている。

君は早稲田の文学部に行きなさい、ものを書きなさい、と先生は言った。いや、行きなさいって言われても、まず行くには試験に合格せねばならないわけで、なかなか簡単に行けるものでもない。この人すごいこと言うなあ・・と思ったのだけども、その時点で第一志望は早稲田の文芸に決まったのであった。

当時、先生はもう初老という歳でいらっしゃったと思う。薄いグレーのスーツをきちんと身に纏った、小柄で物静かな人だった。皺の多い顔に、目だけがいつも爛々と光っていた。動物で言うと猫、人間で言うとスピッツの草野正宗に似ていた。

誰も評価してくれない中、誰か一人だけでも自分の得意なことを褒めてくれたというのは、当時の劣等生だった自分には大きかったんだと思う。嬉しかったなあ。先生は今どうしているだろうか。お元気でいらっしゃるだろうか。


もうひとつ、こっちの方がだいぶ今の執着に直結した出来事かな・・と思えることがある。

ぶじ志望大に入って卒論を書き、大学を出る算段がついたのはいいが、とにかくひどい就職氷河期で、要領も悪く協調性もなく、おまけに体力もない自分は、なかなか勤め口がなかった。周りが次々に行き先を決める中、年明けくらいにようやく就職先が決まったので、遊んだり旅行したりする暇が全くないまま、慌ただしく社会人になった。

仕事は、地域情報誌を作る仕事で、自分の肩書きは一応記者ということになっていた。大手の新聞社の子会社だったので、名前だけはしっかりしていた。お店を訪ねたり、ニュースリリースを見て取材に行ったりして、媒体として決まった体裁の文章を書く。純粋にただ地域情報を無償で載せるページが、半分くらいあっただろうか。

それとは別に、一行何円という広告料をクライアントにいただいて載せる記事もあった。いつも広告主になってくれる会社の情報を、おつきあいで無料で載せたりもする。限られた文字数の中で、無駄な言い回しを一切排除した結果、なんか変な文章だなあ・・と思いながら書いているような時もあった。

とにかく短く簡潔な中に情報が一つでも多く入っているのがいい。それを、3行くらいの短いものから始めて、1年か2年くらい経つと、一面の大きな記事も書けるようになる。そして、新卒で入って、営業も記者もだいたいみんな3年か4年で辞めていくのだ。だってお給料が安くて、先の展望もあまりなかったから(実際、その会社はもう存在しない)。

そこまで激務ではなかったし、のんびりはしていたけれども、何となくいつもフロアにどんよりとした不満が渦巻いているというか・・小さいながらセクハラもあったし、パワハラもあったし、毎日みんなこそこそと愚痴ばかり言っていて、思い返すと正直あまりいい会社ではなかった。

さて、そんな会社で、入って1年目に配属された部署に、すごく素敵な先輩がいた。何となく澱んだような記憶しかない新人時代だけども、その人のことだけは今もしっかり覚えている。小柄で、色白でふっくらしたばら色の頬に、キリッとした眉の・・いまの朝ドラに出てくる由良先輩みたいな感じの、2歳年上の(たぶん。入社3年目だったから)女の人だった。

言葉少なく、黙々と仕事をしているけれど、時々話しかけると、はきはきと快活に答えてくれる人で、とても感じがよかった。あまり動じず、私情をまじえず、感情的な感じがなく、いろんなことにきちんとしっかり、線引きをしている感じの人だった。憧れの先輩というやつだ。

時々帰りが遅めになったりすると、「お食べ」と言ってデスクから出したお菓子をくれたり、留守の間に机の上にメモと一緒にチョコレートを一粒のせておいてくれたりした。ありがたくいただきながら、内心だいぶキャッキャしていた。

先輩は、感じのいい定型文をたくさん持っている人だった。

いただいたメモとか、会議の時とかに、ああこんなふうに言えば社会人らしく、かつ尖りすぎず、柔らかく、つまりは当たり障りなく物事が伝わるなあ・・と思うような言い回しの手数をたくさん持っていて、かと言って冷たい感じではなく、ときどき垣間見えるユーモアにちゃんと人としての温かさがあった。

それから先輩は、いつもきちんとした形のパンツにジャケットを羽織るというスタイルを守っているのに、ちゃんと毎日小さなバリエーションがあって、おしゃれだった(私はジャケットというものが好きではないので、結構いい加減な服を着ていたのだけども・・)。もちろん、私と同じように先輩に憧れている人は、結構いたと思う。だって、本当に素敵な人だったんだもの!

あるとき、とある男の先輩が・・もしかしたらたぶん、その人はだいぶ本気だったと思うのだけど・・先輩のことを好きみたいで。お酒の席で近くになった際に、自分の知っている彼女のことをいろいろ教えてくれた。私も憧れの人のことだったもんだから目をキラキラさせて聞いたと思うのだけど、今から考えたらとんでもない個人情報だよなあ・・とちょっと申し訳なくなる。

その男の先輩いわく、彼女は大学で文芸を専攻していて(しかも国内で芸術学部の文芸学科と言えばまずあそこ、という狭き門だ)在学中に賞の候補になったり、作品が誰でも知ってるような大手文芸誌に載ったというのだ。もしかしたら本当は小説家になりたいのかもしれない、という。で、彼はそのことを何かで知り、会社の近所の図書館に行ってバックナンバーを探し、載っているのを見つけ、読んだらしい。

いつの号に載っている、あそこの図書館にあるということまで教えてくれたので、自分も少し後にその図書館に足を運び、ちょっと後ろめたいなあと思いつつ、こっそり読んでしまった。すごく完成された短編だった。

読んでしまった後で、何だかすごく悪いことをした気持ちになった。純文学小説というのは、たとえそれが虚構であるとしても、多分に作者の内面や人間性が出るものであって、おそらくそれを職場の人に覗かれたくはなかっただろうと思ったのだ。そのことを、自分も曲がりなりにも文芸を専攻していた身で何となくわかっていたと思うのに、欲求に勝てなかった。

もちろん、出版されて世に発表されたもののことだから、誰が読んだって構わないのだと言われれば、そうに違いないと思う。でも、いま思い返してみても品のない行いだった(今さら言ってもしょうがないことだけども、男の先輩よ、教えないで心の中にしまっていて欲しかった・・・!)。

まあ、そんなふうに私を含め品のない人が多い職場だった・・せいでは決してないと思うが、先輩は私が入って一年くらい経った頃に退職し、他の会社に移られることとなった。知った時には、そりゃ辞めるよね・・とはわかっていたものの、やはりしょげたもんだ。だって憧れだったんだもの。

さて、先輩が退職される前に、一緒に食事をする機会をいただいた。その時、先輩はやはり小説を書いていかれるんですか、という意味のことを聞いてみた。あんなに才能があるんだもの・・と思ったけれど、先輩はもう書かないという。転職先は有名な建築系の雑誌社で、そこで編集の仕事をするのだと。

先輩は言った。「もしまだこの先、あなたに物書きを目指す気持ちがあるのだったら、一日に一行でもいいから、自分のためだけに文章を書くことを続けたほうがいい。この仕事の文体に慣れてしまったら、難しくなるから」

最後の日、「ご活躍を!」というメモをデスクに残して、先輩は去っていった。その後連絡は取っていないので、消息はわからない。


今の自分を縛る執着はたぶん、この時の先輩が残していった言葉と関係がある気がする。そして、この歳になってもまだやめられないということは、諦めがつかないのだ。なんてみっともないんだろうと思うが、やめるきっかけもないまま、ここまで来てしまった。

その後自分も3年目に別の会社に移り、結婚して妊娠したのを機にその会社も辞め、家庭に入ってだいぶ経つ。その間、何もしてこなかった結果、何者にもなれていない。ただやめていないだけだ。このままゆっくり執着から解放されていくとしたら、それもいいなと思う。

ご活躍を!という言葉をもらったのに(それが彼女特有の、美しい定形文に過ぎなかったとしても)まったくご活躍できていない。一億総活躍社会と言われる中でご活躍してないんだから、たいへんな少数派と言えるだろう。とほほほ・・。


さて、実は今年の初め頃に、先輩のその後を偶然知ってしまった。みんな知ってるようなめちゃめちゃ伝統ある有名な雑誌のオフィシャルサイトを見ていたら、しばらく前に新しく編集長になったと紹介されていたのが、なんと先輩だったのだ・・・!!

先輩こそ、めっちゃご活躍じゃないですか。

いつまでも憧れの先輩でいてほしい。

もう同じ会社じゃないし、時々こっそり見ていてもいいだろうか。ウフフ。。

4コメント

  • 1000 / 1000

  • yuki*

    2022.11.24 14:47

    @miwaみわちゃん。わたしだって隠し事だらけだし、潔くなんかないよ。でも、誰にでも本当のことを全部言わなくてはいけないという決まりはない。だから覗き趣味の人に私的な場を覗かれて揶揄されたり非難を受けたとしても、そんな人にまで誠実に対応しなくてもいいし、自分を不誠実だとか思わなくていいんだよ。自分を守ってるだけで、誰に迷惑かけてるわけでもないんだから。 ただ、ここでは、わたしは嘘はなるべくつかないようにしているのだ。できればそれ聞かないで欲しいな・・ってことはある。でも、たぶん突っ込まれた時にも、面倒なので嘘はつかない。そう親しくない大勢の世間様から絶対こう思われたい!っていうような自分像が、もうないから。こう思われたくない、はもちろん人並みにある。でも、キープしなきゃいけないyuki*さん像みたいなものは、ないんだよ。したがって、表裏の乖離は少なくなる。そこが、しっかりしたパブリックイメージがずっとあって、それを何年もキープしているみわちゃんとは、少し違うのかなと思うんだ。気にしすぎて、あまりしんどくならないようにね。その人は若い頃先輩に憧れた私と違って、きっと反省もしないし、罪悪感も持ってないよ。要するに、覗きや露悪趣味の変態はほっときなさい。損なわれないように。
  • yuki*

    2022.11.24 14:12

    @tomo♪得意かどうかは謎だけども、まあ好きなのは間違いないから・・・がま口もね!お買い上げありがとうございました。今回全部かわいいやろ。私もちょっと欲しかった。
  • miwa

    2022.11.18 03:09

    今回もめっちゃ可愛いね♡私はローズマリングのグレーが好みです♡♡♡ 「書くことが好き」というか、これだけの文章を書けるのがうらやましい。。書くことが好きでもないし書けない私からすると、好きや、出来る。ってこと自体が本当にうらやましい。 そしてその先輩素敵だね。社会人として改めてそんな風な人になりたいなぁ、、なんて思ってしまった。知らないうちに自分のプライベートの部分を見られるのって嫌だよね…ちょっとタイムリーで最近プライベートを覗かれる事があって、もうすごくモヤモヤした気持ちになったので、ゆきちゃんが罪悪感がある…とか黙っておいて欲しかった。とか書いてあって、なんだか気持ちが楽になった。。別に鍵をかけているわけでもなく見られないようにしているわけでもないので、覗いた人は悪くはないんだよなぁ…。なんて。 私はゆきちゃんの気持ち真っ直ぐな文章がすごく好きだわ。飾らない、隠さない。潔い。って思う✨