journal 2025-01-④

ミニパース、ネオンオレンジが効いてます。



☆2025/01/19

ちょっと今日は午前中に予定があったのだけど、紆余曲折あってキャンセルに。心頭滅却して根菜類をめっちゃ刻んだり、生地を切りまくったり、検品を袋詰めをしたり。

がま口販売に向けての準備も予定よりだいぶ早く進めたので、夕方にはお店に出せそうです。上の写真のやつは紹介しそびれてたけど、リビーのミニパース。

リビーはみっちり詰まった小花柄で好きな感じなんだけど、このネオン入りのものがラミネートがけになってるのをあまり見かけたことがなく、出先で少しだけ手に入ったので嬉しくて今まで寝かせてました。マーガレットの白い花びらが清潔感あってきれい。

このちっちゃいサイズのパース、実は一番使ってるかも。自分はよくパーキングメーターに車を停めるので、これに百円玉を常にストックしているのですよ。リップやイヤホンも入るんで、一つ持ってるといいです。いつもパンパンに入ってる。

ラミネートで作ったのは久しぶりだなあ!最近はタナローンに芯貼ったやつが多かった。

今プレビューになってますんで、よろしかったらごらんください・・・。


さきほど全部の袋詰めが終わり、お店に在庫を追加しました!

2025年も可愛いのをたくさん用意してお待ちしてますんで、ご愛顧のほど・・よろしくお願いいたします。


販売開始からしばらくたち、おリサにちゅーるをあげたり、お米を洗ったりしてる間にちょいちょいご注文が入ってます。みなさん、年始のご挨拶を備考欄に書いてくださってますね。ご丁寧にありがとうございます、今年もよろしくお願いします。お正月からだいぶ経っちゃってすいません。。

今日の午後は作業をしつつ、溜めてる録画の中からスロウトレインを見て、その後フットンダ王決定戦を見てるとこです。つまり、ようやく正月が終わろうとしてます。だからギリ(?)あけましておめでとうございますでもいいのだ!(笑)

つい録っちゃうのよね、フットンダ。まだ吹っ飛ぶお布団が西川のマットレスになる前から大好きなの。長いから作業ついでにみる感じになりがちなのだが、予選を上がって決勝の戦いになった時のレベルの高さがハンパない。全員精鋭だからな・・・。


学園もの(ではないか・・・?)の教室の一角に窪塚の息子がいるし、パソコン持ってるとこまで被ってるが、驚くくらい当時の窪塚と全然似てないな。でも、顔を一瞥すれば窪塚の息子の人だと認識はできる。似てないのに不思議だな。


最近、折に触れてよく思い出す出来事がある。そりゃ折に触れるよな、毎日折に触れすぎだよと思うのだが、いいともの観覧に行った時のことだ。私はあの人を生で見たことがある。

番組が終わるというので、タモリさんを大好きで敬愛している友達のKatyちゃんが、観覧ハガキを出して当ててくれて、一緒に新宿アルタ前に並んだのだ。もう10年くらい前になるので、記憶はだいぶ朧げになってきているが、火曜日だったのでレギュラーに中居くんとローラがいたことと、テレフォンショッキングのゲストがギバちゃんだったことだけはしっかり覚えている。

スタジオアルタは意外と狭かった。セットの中の人たちは結構近かった。あの日、Katyちゃんと私は舞台向かって左手の方の、階段状になった観覧席に座った。

オープニングで並びの左端が中居くんだったので、私の席からは斜め後ろ側からの彼がとてもよく見えた。あろうことか、ズボンの後ろ側から入れ損ねたとみえるシャツの裾がぴらんと出ていたのだ。テレビなのに、アイドルなのに、の二重の意味でびっくりした(当時まだSMAPはバリバリのアイドル現役で、解散など予想もしなかった)。

この人、人間なんだなあ・・と思ったものだ。直前にお手洗いにでも行ったんだろうか。しかし、テレフォンショッキングでギバちゃんが喋ってる間に誰かが気づいたんだろう、戻った時にはちゃんとズボンにシャツが入っていた。そのことと、ローラの脚がすごく長くて、綺麗な人だったということだけが強烈に印象に残っている。

観覧が終わったあと、スタジオからぞろぞろと観覧客が出され、Katyちゃんとお話ししながら階段をおりアルタの外に出たのだが、そこに黒くつやつやした大きなワンボックスカーが通った。5〜6人の女性、当時の我々よりは一回りくらい上かなと思われる歳のころの人たちが、ゆっくりと走るその車を、後ろについて追いかけていった。

でも、それは角を曲がる前のところまでだった。ある位置で全員がぴたりと止まり、そのあとは動かずに、一生懸命に車の後ろ側に向かって、大きくたくさん手を振っていた。それはまさに恋で、普通の人たちなのに、皆すごく可愛くみえた。そのことを最近よく思い出す。

あの時は、なんだかよくわからないがキラキラとしたいいものを見たなあ・・という気持ちだったが、今ならわかるよ。自分は推しを出待ちしたり追いかけたりはしないけど、出てくるところにもしも居合わせたら、きっと同じ気持ちになると思う。ただただ大きく手を振って、愛を込めて見送る気持ちに。

あの人たちは、今の事態を信じたくないと嘆き悲しんでいるだろうか。決して信じないという決意を漲らせて自分を保っているだろうか。なんだかすごく悲しい気持ちになる。ただただ、悲しい。当事者たちのことは知らないし、はっきりしないそのことについてどうこう言うつもりはない。が、それ以外の本当に本当に多くの人を、悲しませている。罪深い人だ。



☆2025/01/20

所用あり、役所などへ。

月曜のお役所はめちゃめちゃ混んでいる上に、うんざりするほど待ち時間が長い。帰宅したら旦那さんが家にいた。金曜から大阪に行っていたので、お土産の赤福とりくおじがあった。

お昼は生協の鴨南蛮そばで、なかなか美味しかった。赤福を一個だけ食す。甘い。


パブロン鼻炎カプセルを買いに行ったら、何か薬剤師さんからの説明が要るとかで、用法用量をちゃんと守るように指導された。以前買った時はこんなのなかったと思うのだが・・・?まあ結構前だと思うので、その後何か変わったのかも。もちろん乱用したりはしないのだが、飲んだことがある鼻炎薬の中で一番効くと思うので、手に入りにくくなってもらっちゃ困る。


ところで、今日1日でいろんな公共広告を見た。私、フジテレビめっちゃ見てるんやな。



☆2025/01/21

ここ最近、悪夢ばかり見る。

今日の夢は、旦那さんと旅に出て、旅先の宿で全部の排水口からありとあらゆる汚物が逆流してくるというひどい内容だった。風呂からはオレンジ色の湯垢の塊が上がってきて溢れ出し、床を満たしたところで、今度はトイレから糞便が上がってきてもう大変だ。驚いたことに、そんな状況なのに旦那さんは、床の惨状に気付かずにベッドで高鼾をかいて寝ている。夢の中で憤慨した。


週末に見た夢では、ともちゃんと旅に出ていた。外国の建物の5階くらいにある、ベランダっぽくせり出したカフェテラスで、ともちゃんは酒を、私はコーヒーを飲んでいたのだが、私が立ち上がった拍子に急にテラス部分がすべてガバッともげ、私はとっさに窓枠に捕まって無事だったのだが、ともちゃんはシャンパングラスごと外側に転落していった。

下で発見されたともちゃんは救急隊に運ばれていき、私は追いかけて病院に行くのだが、なぜか担当医がヨコそっくりの金髪の外国人(ロシアの横山)で、感染対策のため窓越しに応対された。「余人を以て代え難い、たった一人の親友なのです!私のせいで起きた崩落事故なので、この人に死なれたらもう、生きていけません!!」などと泣きわめいて懇願するのだが、相手は日本語を全く解さないらしく・・何かよくわからない異国の言語で優しくなだめてくれてる感じがするのだが、ガラス越しであるし、ともちゃんの容態はわからない。

こうやって書くとちょっとおかしくて笑っちゃうような内容だけど、実際はものすごく差し迫った感じの、恐ろしい夢だった。・・何か潜在的な不安があるんだろうなあ。


朝から病院へ。息子氏が皮膚科で注射を受けた。お腹に打つのね、ああいうのって。

効果が出るといいのだけど、しばらくは副作用で肌荒れが出るかもしれないらしく、そうなったら本人がどんなに嫌がっても、ベタベタに薬を塗らねばならないらしい。要注意だ。心を鬼にして無理矢理にでも塗る。絶対に、塗る。親としてがんばる。


ところで昨夜、というか日付変わって本日になってすぐ、TBSラジオで伊集院光深夜の馬鹿力を聴くのか、TBS NEWS DIGのライブ配信でトランプさんの就任演説を見るのか、迷った。ラジオの帝王の二つ名で呼ばれる伊集院さんだが、裏番組が合衆国大統領ってのもすごいな。

・・そんで、まあ歴史的な出来事ではあるし、何を言うのか気になったんで、トランプさんの方を選んで、寝転んでiPhoneを横向き画面にして立てて眺め、イヤホンで会場の様子を聞いていた。どうやら、同時通訳は演説が始まってからつくらしく、会場の音声や生演奏などはすべて現地のものがそのまま流れている。

お、ティム・クックがいるな!とか、さすがずっといい位置にいるなイーロン・マスクは・・・などと色々発見しながら、当初は楽しく見ていたのだが。だんだん眠たくなってくるじゃないですか、なんせ深夜1時過ぎなんだから。

そのうち、会場のオケが生演奏で、それっぽいファンファーレ的なやつを鳴らし始めるわけ。おお!いよいよトランプさん登場か!?と目を覚まし、パンパカパーン♫という音のあと壇上の幕を注視していたら、Ladies and Gentlemen.というアナウンスが流れる。

なんとかかんとかホニャララ、President of United States,という紹介がなされ、いよいよ出てくるぜ!と期待したのだが、なぜか出てきたのはクリントンさんとヒラリー夫人であった。なんだよう・・と思ったら、引き続きまた同じようにパンパカパーン、Ladies and Gentlemen.ホニャララth President of United States・・で、出てきたのはブッシュさんとローラ夫人。何度も寝ながらずっこけた。

ちなみに、オバマさんは一人で来てた。ミシェルはどうした。トランプ嫌いなんか、やっぱり。そんで、その後は最高裁の判事たちとか、トランプさんの家族とかが入場した・・というあたりまでは覚えているんだが、結局トランプさんが出てくるまでに寝落ちしてしまった!

出る出る詐欺がすごかったんだよう。でも、ジル・バイデンが入ってきたとこまではちゃんと起きてたはずなんだけどなあ。一緒じゃないやんと思ったのよ。途中からすごい長いファンファーレ流れたから、眠たくなっちゃったんだと思うの。

結局演説は聞きそびれちゃったんだから、伊集院にすればよかったかな。やっぱりラジオの帝王が最強説。

それにしても、クリントン年取ってたな。ずっと口開けてたのなんで?まさか開いて塞がらないからとかじゃないよね?


寝る前にYahoo!ニュースを見たら、TBSが社内調査を行うという内容の記事が載っていた。そんで金スマの、後ろで足組んでる綺麗なお姉さんたちに取材したみたいな・・赤い服のね(あえて文字リンクにしたのは写真が表示されたら嫌だから)。

それ読んで思い出したんだけど、昔勤めてた会社の受付嬢のお姉さんが、副業であれをやってる人でした。時々呼ばれて収録に行ってたみたい。

そう親しくはなかったのだけど、あるとき定時のあとエレベーターで一緒になり、ちょっと近所の何かに寄って行かないか誘おうとしたとかそんなんだったが、ごめんきょうこの後バイトで都内行くんだ、というのだ。副業があるのですね!と驚いたら、あの赤い人達の中に入るんだ〜という。すごい綺麗な人だったので、こういう人があそこに配置される仕組みになっているのか・・と驚嘆した覚えがある。

そして、色白にアイラインがくっきりとした派手な顔の美人ギャルだったんだけど、とてもいい人だった。体調を崩した時めちゃめちゃ優しくしてくれたし、あそこの病院行きなって紹介してくれたし、困った時女子の先輩としてアドバイスもくれた。短い間のお付き合いだったが、格上の美人女子なのに私なんかにもこんなに優しくしてくれるなんて・・・と嬉しかったので、よく覚えている。妊娠出産で会社を辞め、死産してしまった後も心配して連絡をくれたなあ。情の細やかな、しっかりした大人女子だった。

朝ドラおむすびが始まる前にも書いたと思うのだが、私はギャル系の人が本当に苦手だったのだ。けど、あの人だけは別だった。赤い服で足組んでるお姉さんは、ちゃんとしていたよ。他のお姉さんたちがどうだったかは、わからないけども。



☆2025/01/22

滅多にないような配送ミスを犯してしまい、どえらいことだ!と青ざめる。

各方面にご迷惑をかけたのですが、皆さん明るく許してくださったのでした・・・。なんとか解決しそうな感じではあるのですが、電話に出てくださった皆さん、年明けから本当に本当にすみません。とほほ。

最近もう目が悪くなってきている。気をつけねばならない。再発防止策を考えよう。



☆2025/01/23

朝から歯医者さんへ。10時半に予約を入れていた。軽い虫歯を一本治してもらった。

いつも12時前後に行って、夕方まで麻酔が効いてるので(個人差があり、どうも私は他より長いらしい)、さめるまでに4時間はみたほうがいい。この日は、ともちゃんに朝イチの用事があり一日仕事を休むというので、午後からヒルトン東京のアフタヌーンティに行く予約を入れようということになった。

14時半からの回なら大丈夫だろうとは思ったが、本当に14時くらいまでは唇の感覚がなかったので、ちょっと焦った。でも、時間までにはちゃんと感覚が戻ったので、よかった。

大体どこでも銀色の三段皿みたいなのを使ってると思うのだが、ヒルトンのアフタヌーンティは、謎の木箱に載って出てきた。大きめの裁縫箱とか、救急セットみたいな、持ち手付きの木の箱に、なぜかピンク色の造花が詰められていて、アクリル板で蓋されており、その上にお菓子が載っている。

持ち手部分にはくたびれた白いコットンレースが巻かれていて、乙女チックさがちょっとやばそうな雰囲気を醸し出していた。どんな味だろうと内心少しビビったのだが、食べてみたら味はめっちゃ美味しく、ハズレはひとつもなかった。特にパイ類やデニッシュのサクサク感がすごかった。とにかく何もかも、生地部分が全部うまい。長年ここでやってるだけのことはある。

選ばれし浪費家のみに配られるルミネチケットで、一人2000円引きになった。惜しむらくは、途中隣席にやってきた30代中盤くらいの男女二人連れの、男性がめちゃくちゃうるさかった。おとなしそうな女性相手にコンサルとしての仕事をひけらかす感じのトークをしていたのだが、ドン引きするほど声が大きかった。

西新宿は古い街だな、と思った。モーレツサラリーマンがリゲイン飲んで飲んでバカでかい声で商談をし、元気にガツガツ仕事していた頃の、古き良き時代のホテルラウンジだった。



☆2025/01/24

44歳最後の日。やっとゾロ目から逃れられる。

本当はちょっとしたお出かけの予定がござったのだが、大阪で風邪をもらってきたらしい旦那さんの体調が今ひとつなので、キャンセルした。午前中に整骨院に行き、その後でみなとみらいにでも行こうと思っていたが、ワールドポーターズの駐車場特典(誕生日当日と前後の3日間、タダでとめられる)が廃止になったことを思い出し、がっかりして家に帰る。

家で生姜入り野菜がゆを作ってお昼を食べ、強烈に眠くなったので1時間半だけうたた寝し、起きてから茅乃舎だしを買いに行った。誕生日特典のお葉書が来ていたので、持って行った。買い物をするとおまけをもらえるらしいので、先月買ってすごく美味しかった季節限定だしポン酢をまた買おうと思ったのだが・・行ってみたら売り切れ。代わりにつぶポン酢と、いつもの出汁パックを買う。

それから、ガソリン7円引きクーポンが来ていたので、給油も行った。今日はクーポンやポイントを使う日だな、と思いながら、最後にニュウマンのPasandへ。気になっていたヌキテパワンピースを買い、もらっていた期間限定バースデーポイントを使い切る。


Pasandのお姉さんたちとタイプロの話で大いに盛り上がる。みんなあれを見ているのだ・・!!

「俳優色の強いテラちゃんだけど、なんとか残ってアイドルになって欲しい!」というお姉さん・Aさん(30代、私と同じ誕生日)は、昔からの旧Jファンらしい。私が「昔は丸山だって篠塚くらい美しかったんですよ、もう誰も信じないと思うけど」と言ったら「信じます、ってか知ってますよ内くんの次に好きだったんで」とのことであった。

そこからひとしきり菊間弁護士の悪口(お前が局員のモラルについてあれこれ言うな)などを言ったあと、原くんの顔はずっと見てるとクセになりますよね・・・そしてずっと1位なのに山根くんの顔がどうしても覚えられないですよね・・ということで一致した。そんな我々は昭和生まれ。

もう一人の、平成生まれであろう若いお姉さん・Mさん(20代、Kポと旧Jを行ったり来たりしているらしい)曰く、山根くんはどんなオーディション番組でも一番ウケがいいタイプですよとのこと。私が「実はノアくんは安全そうに見えて当落上にいる気がするんですよね」と言うと「ああ、10代は一人しか採らない感じありますよね、どっちかならロイくんですよ」という。

3人でうっとりと「ロイくんと篠塚は当確・・」などと言いながら、今日も22時からNetflixですねと言って別れたのであった。そんな44歳最終日の思い出。



☆2025/01/25

45歳となった。友人たちからおめでとうのLINEが届く。

朝から「ママになんか言うことない?」と、息子氏におめでとうの言葉をカツアゲしにかかる。「ママがそれ言う時、だいたい誕生日か母の日だからすぐわかるわ。おめでとう」とのことであった。

かゆいのはどう、と尋ねたら、かゆくない、医学って本当にすごいんだなとのこと。副反応の肌荒れも、今のところ起こっていない。安堵した。劇的な効き目があったようだ。高いだけのことはある・・その値打ちがある。また汗の季節などになったら肌の状態がどうなるかわからないが、経過を見ていこう。


夜。

今日は一日、がま口を口金に詰めていた。特に誕生日らしいことは何もしないが、毎年そうだ。誕生日ケーキとかも特に食べず。

あ、冷蔵庫に残っていたマフィンを食べた。息子氏が注射打った日にタスマフィンで買ってきた、チョコラータの。何日も放置してたからどうかと思ったが、おいしかったのよね。また買ってこよう・・。あんまり近くに行くことないけど。場所があそこじゃなきゃもっと行くのになあ。

45歳。40歳から45歳は、割とすぐだった気がするなあ。コロナのせいもあるかな。昔はよく見えた目も、夜だと似たような色のがま口が判別しにくくなっているし、疲れやすい。根を詰めるとすぐ肩や腰が痛くなる。やはり、色んな機能が少しずつ衰えてくるものなのだ。

いくら長く生きたとしても、残り半分といったところだろう。そしてその半分は、これまでと違って、どんどん肉体が衰えていくのだ。それが全ての生き物の宿命だということは頭ではわかっているが、心がついていかない。それでも、なるべく元気でいなくては。せめて息子氏がどうなっていくのか、方向性の目処がつくまでは絶対に死ねない。


45歳で思い出したのだが、先日旦那さんがボランティア先生をしに施設に行った際、教え子の中学生と、初めて勉強以外の話をしたんだそうだ。年齢の話になり、先生は何歳ですかと聞かれ、何歳くらいに見える?とお決まりのやりとりがあり、彼は「45歳くらい?」と予想したそうな。まあ、大体いつでもそんなもんだ。

結婚してからじき20年になるが、旦那さんは大体いつでも10〜15歳くらい若く見られるので、私とそんなに歳の差があるようには見えないらしい。じきに還暦を迎えると言うのに。髪はもう染めてないから、真っ白なのになあ。とても独特というか、浮世離れしたところがあるのだ。

結婚した時は、20代と40代の夫婦だった。それが30代と40代になり、30代と50代になり、いま40代と50代なのだが、再来月には40代と60代の夫婦になる。要するに5年ごとに、すごく差が開いたように見えるタイミングがあるのだ。5年辛抱すれば私が50代になり、またちょっと近寄った感じになるのだが、別に15歳の年齢差が変わるわけではない。しかしそんなことを5年ごとに考える程度には、一応気にはしているのだな、と思う。

あの時二子玉川のアレーナホールでKANは、その歳の差はどんどん開いていく・・ということはない、と言っていたなあ。それは二人とも元気で生きていたらの場合で、私に何かあれば開いていくし、旦那さんに何かあったらその差が縮んでいって、いずれ追いついたり、追い越すこともあるかもしれない。でもそれは悲しいことだ。

早くに亡くなった人の言葉だからか、妙に重たく思える。


そういえば先日、ともちゃんと都内に出る道すがら、どんな話の流れだったか忘れたが、火宅を生きるのはいやだよということを言った。またそんな、ゆきちゃんしか使わないような妙な言葉を・・とツッコミを入れられる。

たぶん、私たちより少し歳が上の人は、70〜80年代に「火宅の人」がベストセラーになったり映像化されたりしたので、なんとなくどういった意味の言葉なのかわかる。確かに日常語ではないとは思うが、当時の流行語ではあったはずだ。

ただ、なんとなくのフィーリングで脳に定着している言葉で、正しく定義できているかは疑問だったので、他の人がどういう意味で火宅を使うのか知りたくなり、さっき旦那さんに聞いてみた。「人の背負う業のようなもののことでは」と言っていた。私の知る中で最も恬淡とした人物だが、大体、自分と同じようなニュアンスで理解している。

生ける肉体を家に例え、そこに閉じ込められている精神は業火のようなものであると。

しかし、正しくは仏教用語で、苦しみや悩みにみちた現世を火事で燃える家にたとえた言葉なのだそうだ。若さを失いつつあるいま、昔に比べなんとなくだが、業火は鎮まってきたように思える。火宅を逃れるその日まで、このまま落ち着いて暮らしたい。

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