journal 2025-12-①

羽田空港の展望デッキより。



☆2025/12/01

朝から息子氏にアトピーの注射を打ち、自分は区役所へ行く。マイナンバーカードの更新の時期で、旦那さんも息子しも同じ時期に作ったはずなのだが、有効期限が次の誕生日までだったようで、1月生まれの私にだけ先にお知らせが来た(旦那さんも息子氏も3月生まれ)。

区役所のそのコーナーは、お年寄りでいっぱいだった。お年寄りの他はなぜか赤ちゃん連れのお母さんが数組いて、もしかしたら赤ちゃんの分を作りに来ているのかもしれなかった。

自分のように更新の用で来ている人も少しはいたが、意外にも新規でつくる人の方が多かった。そんなことないやろと思ったが、よく考えたら紙の保険証が今日から使えなくなるので、もしかしたらそれで急いで作りに来たのかも。ともかく、あまりにお年寄りと乳児連ればかりだったので、一度も待合室の椅子に座らないまま30分ほど待って用が済んだ。

次はまた5年後、次回は写真を持ってきてもらうことになりますと言われたのだった。5年後、50歳になった自分の写真を想像して、うーむ・・となった。年はとりたくない。


帰宅し、息子氏のリクエストでハングリータイガーにお昼を食べにいった。その後、羽田空港へ。スクーリングに旅立つ父子を見送ったのだった。無事にすべての行程を終えて元気に帰ってきますように。心配だし気になるが、1500kmも離れたところに行ったのでは私にはもうどうしようもない。全員にとって乗り越えねばならない試練である。

羽田で離陸直前まで飛行機を見守り、空港を後にした。何となくそのまま帰る気がせず、もしかしたら何かいい布が入ってるんじゃないかと思い、空港からそのまま環八に入って自由が丘のC&Sへ。今回は勘が当たったらしく、素晴らしいラミネート生地が手に入ったので良かった。

帰宅後、父子がぶじ今日の宿泊場所に着いたとわかったので、少し安心する。


ところで、クリスマスの買い物の際に、ついでに紀ノ国屋で買ってみた出汁しょうがたこせんべいがあまりにもうますぎたので、買い足しに寄ったのだが、もう棚のどこにもなかった。

オンラインストアも欠品中。3日前の夜にはあんなに棚いっぱいあったのになぜ・・・!?!?むちゃくちゃおいしいのだ・・・!!早く再入荷してほしい。お近くに紀ノ国屋があるという人はぜひ、あられせんべいコーナーで探してみてください。ほんまにめっちゃうまいから。



☆2025/12/02

朝のワールドニュースで言っていた、世界最大のアドベントカレンダーはドイツの市庁舎の窓だって。

我が家のアドベントは今朝は誰も開けるものなく、そのままぶら下がっている。さみしい。

とりあえずちゃんと起きたらしいと旦那さんから一報が入ったので、少し安心してゴミ出しなどする。にゃんにゃん鳴いてついて回るおリサにおやつを与え、テレビとこたつを点け、洗濯機を回す。

そのままどんど晴れ、早ばけと見て、昨日から始まった鎌倉界隈てくてく絶景をぼんやり見ている。正門さんがいろんな寺社でお行儀良く参拝するのだが、当時(2023年3月)の彼は鎌倉の神様に何を願ったんだろうか。それがもう叶っているといいし、まだ途中ならこれから叶ってほしいと思ったのだった。優しそうだしいい子そうだから。


その後、身支度をして外出。私が羽田でたそがれてたのを見て心配したらしく、いくちゃんが朝ご飯を食べに中華街へやってきてくれたのだった。謝甜記貮号店に行き、えび粥セットを頼む。お粥は美味しかったが、胃腸弱い勢の我々にとっては手羽の唐揚げがすこし重かった。元町をぶらり散歩して腹ごなししたが、結局午後の今もあまりこなれないままだ。

いくちゃんは午後に素晴らしい知らせを受け取り、からの、超重要なミッションがある予定なので、短い時間でたくさん話してお互い元気を出した後、急いで帰っていったのだった。忙しいのにきてくれてありがとう。あいかわらず、友情に篤い子ね!


家に戻ってしばし図書館の本など読む。期限内に返せそうで良かった。2025年に読んだ本の中で一番面白かった「大使とその妻」。おすすめの一冊、ではなく、上下巻だから二冊です。年末年始に時間のある方はぜひ。

で、夕方整骨院へ行った。

さっきいくちゃんと前を通った時、中で施術中の綿飴先生と目があってペコリと挨拶してくれたのだが、夕方入っていったら「さきほど一緒だったの娘さんですか?」と聞かれた・・・・・・。いくちゃんは恐ろしい女。私と並ぶと親子に見えるほどフォルムにギャップがあるのだった。とほほほ。


その後ともちゃんと合流しコストコへ。

渡ポル中、滅多に日本人旅行者には会わなかったらしいのだが、たまに他の人と交流しても、誰一人ともちゃんとママを親子だと最初から見抜く人はおらず、姉妹とか友人だとか思われた上に、ママが70歳だと明かすとみんな驚愕したという。

そのあと誰もが「あなたが老けてるわけじゃないのよ、お母様がアメイジングなの」という意味のフォローをしてくれたらしいのだが、「どっちにしてもちょっとショックだよね〜〜」と言うともちゃん。

これは、今が使いどきだ!と思い、「何を言う!私なんて今日、いくちゃんと親子に間違われたんだぜ!」と、入手したばかりの最強のカードを切ったのだった。

・・・お互いそんなことで競り合ってどうする。

夕飯は二人でスシローに寄った。ともちゃんはウニ軍艦とかサンマとかおしゃれなものを色々食べ、私はイカとお新香巻き(地味)を食べ、最後はかけうどんで〆た。

みなさん、ともちゃんのスシローでの〆は何だと思います?いつだって同じものなの。これはクイズにしよう。今週のどこかで正解を発表します。お楽しみに。


帰宅後、旦那さんにどうしているか聞いたら、息子氏は今日の予定をつつがなく終え、特に不調や不自由を感じている様子もなく、めし風呂歯磨きの後さっさと皮膚科の薬(多少眠気を誘うとされている)を飲んで、消灯して寝ようとしているらしい。

実は、空港で「がんばってな、適当に」というメッセージに対し「頑張る」と短く返信がきて以来、一度も直接連絡をしていない。様子は全て旦那さんを通して窺い知るのみとなっている。

息子氏はある時から、約束するのが苦手になった。100%守れるかどうかわからない、絶対に守ると言い切れない、それなのに相手に何かを約束するのは、とても不誠実なことだと思っているのだ。自分も空手形を切るのが苦手だし、万が一守れなかった時に相手を傷つけるのも責められるのも怖いから、なるべくいい加減なことはしたくない。なんとなくわかる。

大勢の人が普通にそうしているように、現時点では善処するつもりであるのだから、約束しちゃえばいいと思うのだが、ある時期からそれが苦しいんだとわかったから、今のところもう言葉での約束みたいなものを、なるべく求めないようにしている。いつかまた先の約束をできるようになったらしたらいいし、できないままでもかまわない。

でも、息子氏は今回、頑張るとだけ返事して1500km彼方の南の島へ飛んでいった。約束とは言えないし、向こうにはそのつもりもないかもしれないけど、なんとなく少し前までと違って覚悟を感じたから、おっと思って、その後あまりこちらからつつかないようにしているのだ。

覚悟に応えて、こっちも黙って信じるということをせねばならない(少なくとも、その態度を相手に見せねばならない)時のような気がしている。


明日もそれなりに予定があるので、体調を整えて早めに寝なくては。猫と一緒に。

あ、まだ後32分あるけど先に言っとくね!まこちゃんお誕生日おめでとう。今年もまた同い年だな、たった2か月弱だけど。

懐かしい写真が出てきた。これは2020年12月3日のともちゃんと私、まこちゃんの誕生日をサプライズで祝おうと駅前で待ち伏せしていた時に撮ったもので、このあとまこちゃんを後部座席に乗せて江戸川まで送ってってサイゼでご飯食べたんだよね。懐かしい。やばい、今よりだいぶ若いじゃん私。



☆2025/12/03

朝から少しずつ掃除を開始、空がどんよりしているので洗濯はやめた。おリサが無印の人をダメにするクッションにおゲロを吐いたので、それだけ洗って屋内に干す。

だいぶ昨日より寒いな、と朝起きてすぐ思った。沖縄は暖かいんだろうか。きょうは、ちょっと用事があって昼間旦那さんに電話してみた。息子氏は朝普通に起きてちゃんと授業に出ていったとのことだった。

学校はU市、南の島のさらに離島みたいなところにあり、島とは海中の道路でつながっているらしい。泊まっているホテルは離島ではないほうにあり、一日に数本しかないバスで行き来するのだ。受ける授業は、本当は一日2コマくらいらしいのだが、前回T沢で体調不良で受けられなかった分の補講をなんとこの沖縄で組み込むことができたらしく、一日に3〜4コマ受けているそうだ。

位置情報で見たら、ものすごくレトロなホテルにいるのでびっくりした。旦那さんが色々検討し、結局どんな宿を取ったのか知らなかったのだ。それはもうあのドラマ・・ホットスポットに出てくる宇宙人たちが働いてるホテルか、それよりもっと古い。

こんなところで息子氏はよく文句を言わず過ごしているなと内心思った。旦那さん曰く、冷房がよく効く、コンビニが近くにある、その2つが決め手だったとのこと。たしかに、本当に大事なのはその2点なのかもしれない。ロンドンでもパリでもホテルは冷房が効きにくく、それが一番嫌そうだったからな。ともかく、どうしているのか聞いて少しホッとした。


午後からはパーマをかけにいった。くるくるの巻き毛になる。だいぶ短くなったので、首を巻き物等でよく温めないといけない。

2、3用事を済ませて家に帰ったところで、息子氏から電話がかかってきた。出てみたら、「ママ・・大変なところに来てしまったよおれは・・。だって、なんと沖縄には、サイゼリヤがないんだよ!一軒も!!」と騒いでいる。どうやら元気らしい。

「そうやで。ちなみにそこから一番近いサイゼリヤは、台湾やで。テレビで誰か言ってたもん。あと、ママの鹿児島に住んでる友達も、サイゼリヤがないって言ってたよ。だから九州でも上の方にしかないと思う」「まじか。おれ沖縄には住めないわ」

サイゼどころか一軒の飲食店もここにはない、ローソンしかないからおにぎりばっかり食ってるよ、とのことであった。ホテルについてる食堂的なところの食べ物は、どうやら旦那さんの口に合わなかったらしい。そういうわけで、今ふたりの命綱はローソンであるとのことだった。

それでも、それなりに元気にやっていることが窺えた。明日一日頑張って、さっさと横浜に帰るわと言っていた。どうやら、本当に頑張っている。よかった。



☆2025/12/04

早朝、4時くらいにリサのニャンニャンいう鳴き声で目覚める。上へと誘導するのでついて行ったら、カリカリの器が空であった。ちょっと足してやり、もう一度布団に戻る。

しかし、6時にまたもニャンニャンと起こされる。観念して2階に上がると、階段を登り切ったところにおゲロが・・。さっき足したカリカリだな、と思い片づける。午前中はとにかく眠かった。

さて、今日こそ掃除だ。ダイニングテーブルの上のものを全て片付け、お客さんが入れるように向きを変える。換気扇の部品を外して洗い、乾燥機にかける。

ミシン周りに出しっぱなしのものも何とかかんとか仕舞い込み、掃除機をかける。そして、インスタとかでよく出てくる、スプレーに水を入れ、アルカリ電解水とウタマロをプッシュして混ぜ・・みたいなやつを作り、シュッシュしては床やらを拭く。ゴミ箱の底も拭いて乾かす。

お昼(チャルメラ)を挟んで、またウタマロ電解水を作り足し、途中からそこにクエン酸を足して水回りも同じように拭き、最後はトイレの床まで拭いて使い切った。もはやへとへとである。

ひと休みしようかと思っていたところに、旦那さんから息子氏がスクーリングの全行程を無事終えた旨の報が届いたのだった。ホッとしたら疲れがどっと出たので、座ってこれを書いている。ああ、本当に良かった。


深夜。息子氏と旦那さんを迎えに羽田へ。会うなりサイゼに行くと言い出す息子氏。。大抵のとこはさっさと閉まるけど、関内に明け方までやってるサイゼがあるのよね。そこに寄ってやりましたよ、ええ。パルマ風スパゲッティと辛味チキンを食べて満足していた。

旦那さんと私は玉ねぎのズッパを注文した。おいしいのよね、あれ。そして、南の島で撮ったらしい海や猫の写真など見せてもらう。留守にしたと思ったら、他の猫と浮気したのね!とおリサが怒りそうないい写真だった。

そんな深夜の温かいズッパの味をきっと一生忘れないだろう。


そういえば、掃除でぐったりから羽田行くまでの間に、例のサイトを今年惜しまれつつご卒業の方達のところを見に行き、コメントを残す。来年度はまたカラーがだいぶ変わるのだろうな。

とも家でみなっこさんが発した「おしゃれ雑誌のコンテンツなんだから、夢与えてなんぼじゃないですか!」という名言に全てが集約されていると思う。同じ国の同年代に、こんな素敵な人がいるんだなあ、こんな楽しく暮らしてるんだなあ、という夢よね。わかるよわかる。

そして残念ながら、PV数に賞を与えるような奨励の仕方をしていると、その夢の部分はどんどん薄れていくのだった。じつは我々より上の代の人も同じことを訴えてたの知ってるけど、まあ結局どんどんこうなっていったから、たぶんこの方向性は変わらないだろうなあ。年々何かが過剰になってきている。どこを目指しているのだろう。


きょう、一匹のフェレットの魂が天に召された。読者の皆様、今夜眠りにつく前に、その小さな魂が安らかでありますようにと祈ってください。独り立ちしたナース嬢のだいじなだいじな家族で、心の一部だったと思う。

彼女が当時の恋人の部屋からかなり理不尽に追い出された時、ともちゃんと一緒に車で迎えに行って、フェレットと檻を運んだのだった。スリングのような袋に入って、嬢の胸でおとなしく良い子にしていた。傷ついた嬢のもはや一部だと思って、私もだいじに運んだのだった。こんなに早く召されるなんて悲しい。



☆2025/12/05

頭がパーマくさいのだが、かけたての時にあまり頻繁に洗うともちがわるくなる。でもパーマくさい。ううむ。


夜、にぎわい座へ。コラアゲンはいごうまん・春風亭一之輔 二人会を見に行った。

このチケットを取ってから数人にこの公演に行く話をしたのだが、まあ誰もに半笑いされたよね。一之輔師匠のことは笑点とか見てれば名前くらいは知ってる人もいるけど、そもそも皆コラアゲンはいごうまんのことは知らない。

かくいう私もちょっと前まで知らなかったのだが、むかし蛍原さんの相方だったらしいですよ。感想はまた明日、帰ってご飯食べてこたつで寝落ちしてたから、寒くて風邪をひきそうだ。



☆2025/12/06

朝から首痛からの頭痛!たぶん冷えだと思うのだが。首後ろに湿布を貼ったらわりとすぐに治る。やっぱり首に原因があるのだなあ・・。


そうそう、ゆうべの横浜にぎわい座の感想ね。寄席って一回行ってみたかったんだけど、やはり最初は地元の演芸場がいいなと思ってたんですよ。

で、落語なら最初は一之輔師匠がよかったのだ。このコラアゲンはいごうまんとの二人会って、チラシに書いてある通り、もう24回目なの(一年に2回で、干支が一巡りしたって昨日言ってた)。前回調べた時にはすでに席が埋まってたから、今回は発売日にすぐ買った・・。わざわざにぎわい座の会員になってな!

2枚取ったので、旦那さんも行った。一之輔師匠目当て(私が)で見に行ったのだが、コラアゲンさんもわりと面白かったらしい。時々ラジオで声を聞いてる師匠だが、やはり一旦落語の語りに入るとがらりと雰囲気が変わり、まさに伝統芸能という感じで素晴らしかった。

コラアゲンさんの講談の方は、心に病を抱えた人が集まって住んでいる北海道のグループホームがあって、そこに数日間取材に入った体験を語ったものだった。テレビ向きでは全然ないのかもしれないけれど、不謹慎という感じでもなかった(どんな話もそうだが、たかだか見出しくらいの文字数で判断するのではなく、よく聞いてみることが大事だ)。

品川心中が前半だけだったので、いつか後半も聴いてみたいなと思うのだった。


きょうは、頭痛から回復してから、父子が南の島から持ち帰った洗濯物をまとめて洗って干したり、気がついたところをちょこちょこ掃除したり、明日人が来るのでちょっと下拵えなどした。金曜にちょっとコストコに行った時に、久々にハラミの塊を買ったので、皮や脂身を剥いだりもする。

それをだいぶ長いことしつこく茹でて煮て、肉じゃが的なもの・・皮じゃがだよな。皮じゃがを作って夕飯に食べた。まあまあ美味しかった。


食べながら、なぜかずっと忘れていた録画リストの中の、ザ・ノンフィクションの浜マーケットの回を見る。まあ特に驚きはなく、普段みたいな赤裸々さもない回だった。惣菜屋の煮豆やうぐいす豆の色を見ていると、なぜか悲しい気持ちになってくる。なんでだろう、と記憶の細い糸を辿る。

あたたかい豆・・綺麗なうぐいす色・・寒い。誰かが持ってくる、豆を。豆は帽子の中に入っている。帽子と関係ある話だ。うぐいす豆が出てくる帽子の話ってなかったっけ?と旦那さんに話したが、いまいちぴんとこないようだ。それから、グーグル先生に少ない情報を出してあれこれ聞いてみて、あっ、おにたのぼうしだ!と気づいた。

いわさきちひろの描く黒い小鬼のおにた、ツノを隠すのに帽子をかぶってるんだよね。ちょっと原ちゃん(ちゃぼす)みたいな、可愛い感じよ。

おにたは優しいいい鬼で、住み着いた家の子をそっと助けてあげたりする優しい子なんだけど、鬼だから節分になると豆で退治されそうになるし、どこの家も柊を飾るので目を刺されちゃうんだよね。それで、ひとりでとぼとぼ寒い中うろついてて(うろ覚えだからこの辺いい加減です)、柊のない家を見つけるわけ。

その家はお母さんが病で寝付いていて、豆まき行事食どころじゃないわけよ。娘は雪で冷やしたタオルをお母さんの額に当ててあげて看病するんだけど、すぐぬるくなっちゃうよね。お母さんは女の子に、お腹空いてるよねって聞くんだけど、心配させたくないその子は、近所の男の子が家で余った節分のご馳走を持ってきてくれたって嘘をつくのだ。うぐいす豆とお赤飯。

それを見てたおにたは、女の子のところに持っていってあげるんだよ、温かい湯気を立てたうぐいす豆と赤飯を。女の子はお礼を言ってくれて少し話すんだけど、節分だから豆まきがしたいなあって言い出すの。鬼がくるとお母さんの病気が悪くなっちゃうから、来ないように豆をまきたいんだって。

おにたは驚いて悲しくなって、鬼にだっていい鬼もいるのに・・!とか言いながらどんどん小さくなり、帽子を残してその場で消えてしまうのだった。女の子がびっくりして帽子を持ち上げると、中に黒い豆がたくさん入っていたので、それで豆まきをしました。鬼は外、福はうち。おしまい。確かそんな話だったと思う。

うぐいす豆ってあんまり実家では食べなかったし、そんなに豆類が好きじゃないから食べないんだけど、あの美しい色を見ると、心折れて消えちゃったおにたの悲しみを思い出しちゃうんだよね。どうして人に嫌われるのかわからない、どんなに他者に優しくしても、どこへいっても邪険にされるって悲しいよね、きっと。

あまんきみこはどうしてこんな哀しい話を書いたんだろうか。

2コメント

  • 1000 / 1000

  • yuki*

    2025.12.10 14:32

    @makoあらためておめでとう!もうあれから5年経ってお互い45歳だってことが恐ろしいね、私は。。いい誕生日だったようでよかった、よかった。
  • mako

    2025.12.07 03:52

    5年前の誕生日の写真、懐かしい。あの時は、ホントありがとうございました。毎年、職場の最寄り駅のイルミネーションが出ると、あの日のことを思い出すよ。ゆきちゃん、ともちゃんの愛をたくさん感じた40歳の誕生日、一生忘れません!!