雛鳥をさらう罪は

きのうはウォーキングをしに、こどもの国へ行った。
旦那さんの会社の健保組合の、秋の恒例イベントだ。

普段ゲームばかりしている息子だけども、こういう時には最初グズグズ言ってる割に、慣れると私よりも元気に山道を歩いていく。旦那さんも身軽で足腰が強い方なので、しんどいのは私だけだ。体力がない上に上り坂と階段が苦手なもんで、ゼーゼー言いながらついていく。

無事に坂道を登り切ると、そこは自然保護区なので、道からそれて山の方に入ることはできない。その代わり、細いながらにちゃんとアスファルトで舗装された遊歩道が長々と続く。

多少の起伏を繰り返す道沿いは木立に囲まれていて、ところどころに鳥の巣箱が設置されている。
「ほんとに、あそこに鳥入るのかなあ。おれ見たことないけど」
息子が首を傾げている。
「・・・たしかめたいなあ。中に手入れたら、赤ちゃんがいたりして」
連れて帰って育ててみたい、などというので、よしなよと諭す。

昔ならここで、「ヒナがかわいそうじゃないの。お父さんやお母さんと離されて・・親だってどれだけ悲しいか、もしあんたがよその人に無理やり拐われたらどう思う」なんて、人間の我が身に例えた話を滔々と続けるところだけども、もう息子は小6だ。
そんなこと本当はしちゃいけないだろうことくらいわかっている。それに、人間と鳥は違うってことも。

「野鳥は飼っちゃいけないのよ、そうルールで決まっている」という返しをしてみた。
息子は「ばれなきゃいいんじゃないの。見つからなきゃ犯罪にならないって◎◎先生が言ってたよ」と反論してくる。

◎◎先生は、担任の先生ではなく、児童支援専任の先生だ。いろんなタイプの子の目線におりて一緒に問題を考えてくれるざっくばらんな方なのだけど、多少破天荒な発言もある。前後の話までしっかり聞かない(うちの息子のような)タイプの子には勘違いされるかもしれない・・・。そんなだから保護者によっては敬遠する人もいる。が、悪い先生ではない。

おそらく、絶対に隠し通す覚悟でやるか、人生にはそれくらいのゆとりをもった心構えが大事だというような意味で言ったんだろう。そう思いたい。◎◎先生よ、余計な知恵を入れてくれたな・・と一瞬思ったが、そういう実際の世渡りに必要っぽい本音も、ある意味大事なことだ。純粋培養では生き抜けない。

失敗はこどものうちにした方がいい・・とも言える。そうやって、何が自分にとって正しいのかの答えを、いつか自分で見つけるほかないのだ。しかし親としては、もうちょっとよく考えて、ほかの価値観もあることをこの時点で知ってもらいたくもある。どうしたものか。むずかしい。

歩きながら、どんぐりを拾ったりしつつ、考えてしまった。



「あなたの言う犯罪ってのは、社会に存在する法律なんかのルールに違反した場合の話よね。たしかに、誰かに怒られるか怒られないかって話なら、ばれなければ、怖い人に怒られたりはしないで済むかもしれない。
でも、罪を犯すということの恐ろしさは、何もそういうことだけじゃないのよ。

罪を裁かれたり、罪を犯したと大勢に後ろ指をさされ続けることはおそろしい。けど、人に許されなくても、なんとか生きてはいける。
問題は、自分が許せないことをしてしまった時のことなの。罪を犯すということは、自分の心の中に罪の意識が生まれるということだとママは思う。自分が取り返しのつかない悪いことをしてしまったと気づいたら、そこからは絶対に逃れられない。自分で自分を許すことができるまではね。

もし、あなたが雛鳥を拐って逃げたとしよう。かわいいねえ、かわいいねえと言って沢山お世話をしてあげると思う、きっと。でも、あなたにはヒナを無事に育てるための知識がない。勝手に連れてきたのがばれたらいけないなら、大人や専門家に相談することもできない。

両親に守られた巣から出すと、野生の生き物は必ず弱るのよ。そうなったら最後、適正な温度を保ち、食べられるものを与えても、死んでしまうことも多い。
そうなったら、あなたはどう。自分が連れてこなかったらまだ生きていたかもしれないのに…と思いながら、死んでしまったヒナを手にして、自分のことを許して、すぐに忘れられるかしら。
起こってしまった取り返しのつかないことは、どれだけ後悔しても、完全には元には戻せないのよ。それを思い知ることが罪を犯すということだと、ママは思うの」

(うーん、ありきたりかもなあ・・・)と内心思いつつ、考えながら話しながら、道を歩いていく。
世で語り尽くされ、繰り返され尽くしたテーマだなあ〜と呟くと、そうだねえ、遠藤周作とかね、と旦那さんが答えた。なんだ、聞いていたならあなたも何か言っておくれよ。あなたの息子にとっては新しい話題なんだからさ。

と、そのとき、息子の足元でグシャッと音がした。息子が驚いて飛び退くと、カナブン的な甲虫の死骸があった。
「おれが踏んだから死んじゃった。びっくりした。こわいね、命がなくなるって。おれ今すごい悪いことしたね」

「そうね、でもしょうがない。道に小さな生き物がいたら、踏んでしまうこともあるわよ。
そのかわり、いつか大きな生き物が侵略してきたら、人間だってそっちの都合で踏みつぶされるかもしれないわよ。・・そうでなくたって、波にさらわれたり、山が崩れたりして死んでしまうこともあるって知ってるでしょう。避けられない大きなことに巻き込まれることというのはあるの。そうなったら辛いし、泣くしかない。

でも、忘れないで、なるべく気をつけようと思うことはできる。とらわれ過ぎたら生きていけないから、毎日楽しく暮らすようにするしかないわ。
ともかく、野生の生き物の世界は、すごく微妙な均衡で成り立っていて、自分の暮らしを守りつつ、少しずつ支えあったりせめぎあったりして、その均衡を保っているの。均衡というのは・・」
バランスのことだ、と旦那さん。どうもありがとう。

最近、時々家でもこういう話になる時がある。夏のある夜、死んだらどうなるのか考えたら、怖くて眠れなくなった・・と息子が起き出してきたことがあった。
そんなことは初めてで、どう答えていいか焦った。 「ママもわかんないの、怖いの一緒だから、一緒に寝たらお互いちょっと怖くないかも〜」と言って、同じ布団で一緒にスマホゲームして仲良く寝落ちしたのだが、それくらいのことしかしてやれない。
自分も、子供の頃そのループにハマった時に、同じことを親に訴えた。どんな子供向けの通説を言われても結局信じられず、しまいにはさっさと寝ろとか暇だからだとか怒られたので、救われず、ただただ孤独感を募らせてた気がするのだ。

救うことなんてできないと知ってるから、結局付き合うしかできない。
そのことを、布団でスマホゲームをはじめる前に息子氏にしたのだった。突然だったので、正直に自分の経験を言う以外の方法が、その時はなかった。同じ悩みを皆抱えているが、形や程度に個人差があり、対処法も他人のはあまり参考にならないけど、誰の中にも確実に存在する。一緒にやり過ごそう、と。

親として何が正解なのかはよくわからないが、結局、それ以上のことは私にはできないと思う。頼りにならない親で申し訳ないが、自分で落としどころを見つける日が来るまで、怖い時を一緒にやり過ごそう。
自分でどうにかする方法や、別の仲間が見つかるまで。

「こういう、なんか硬い生き物っておれ怖いんだけど。ゴキブリなんかを見たら、みんな気持ち悪いと思ってバンバン殺しちゃうけど。やっぱり死体になってもあんまり見たくないな」

そう、ゴキブリは殺しても許されるのだ。なぜだろう。
今度はその問題について話す日が、近いうちに来るのだろうか。

自然に近い場所へ行くと、大人も子供も、いろんなことを考えるもんだ。

2コメント

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  • yuki*

    2019.10.27 22:16

    @tomo♪ともちゃんちの子たちは、そもそも安定感があるというか、あまり問題発言がないからなあ… 今ごろ日光でどうしてるかしら。ばれなきゃいいようなこと、やってないといいけど!(笑)
  • tomo♪

    2019.10.27 11:06

    良い時間だねー! 私、そんな風に娘たちに話したことないかもなぁ。そんな話が出来る親子、すごくいいなって思う。