LEE100人隊TBをやっていた頃は、読んだ本の感想をよくあそこに書いてました。
辞めてから、当時の読者だった方がときどきDMなどくださることがあるんだけども、あの感想を意外にも皆さん、わりとちゃんと読んでくれてたらしい。ありがたいことです。
そういうわけで、読書メモもこちらにお引越し。前よりは熱量はちょっと減りそうな気がするけど・・。細々と続ける感じにします。
さて、年末の休館前に順番がやっと回ってきた図書館本、酒井順子さんの「家族終了」。
結構長いこと待ったんですよ、これ。予約希望入れたの、まだ春だった気がする。で、借りたらそこから2週間。・・って、結構短い。
とくに、年末年始の2週間はやることが多くて、せっかく順番が回ってきたというのに、あまりゆっくりは読めなかった。ざんねん。
「家族終了」。すごいタイトルだけど、自分はこれを帰省先の大阪で読みました(笑)
家族についての随筆です。この国における、家族形態の変遷について考える感じの本。
父、母、兄を亡くし、生育家族(自分が生まれた家族)を構成していた全員がこの世を去ってしまった著者。パートナーと事実婚状態にあり、子供を持つつもりもない著者は、創設家族を持たないままこの世を去ることになる。
自分が死んだら、記憶の中に存在する家族に関する思い出も消え、家族は終了することになるのだけど、そのことをそこまで痛いと思うこともない。そういう人が増えていくから、この国の人口はどんどん減っていく。どうしてこうなったのだろうか。
過去に遡り子供時代の両親に関する記憶を辿ってみたり、結婚して子供を持った友人の話を聞いたりする中で、自分が家族制度について思うこと、世間での家族観の変遷、未来はこうなっていくんじゃないか・・みたいなことを、いろんな側面から考察して書いてました。
・・・正確には、大阪で読もうとして鞄に詰め込み、持って行ったんですよ。行きの新幹線とか移動中の電車で開いて、読むことを試みた・・。でも、結局ちゃんとは読めなかった。たぶん面白い本なんだろうなとはわかっていたので、なんとか頑張って読もうとしたのだけど。
旅の最後に、すべての予定を終えて一息ついた飛行機の機内で、ようやく落ち着いて開いたのだけど、ちょうどとっても気持ち悪い表現が載っている章で、乗り物酔いみたいになってしまった。
ちなみにその表現というのは、嫁と姑は同じ男を愛する二人の女なんだというくだり。
【姑は「この男を私は自分の股から出した」という自負を持つ。対して嫁は、「この男を、私は自分の股に迎え入れた」という自信を持つ】
というものだった。なんて気色悪いことを言うのだろう、と吐き気を催してしまった。そんな自負とも自信とも、一生無縁の身で居たいと思う。
おりしもその時、機内で隣の席に座ったカップルが、夕飯用と思われる寿司折の箱を開けて食べ始めたところで、しめ鯖か何かのにおいがあたりに漂い、もう生臭くて気持ち悪くて、たまらなくなった。まだ50ページほどしか読んでいないというのに・・・!
結局、そこで本も目も閉じて、ひたすら吐き気に耐えながら羽田に向かったので、この本を開こうとする度に、その嘔吐感を思い出してしまった。あっという間に返却期日がきて、最後の日に急いで読んだので、あまりちゃんと読み込めないまま返すことになってしまった。
でも心残りはあまりない。短い時間なりに読んでみて、ふむふむと共感できるところもあり、なるほどと考えたりもした。著者とはまったく生育環境が違う自分にも、考え方として重なる部分は多々あった。大変面白い本であった。
けれど、表現の好き好きというのはどうしてもあって、股から出した云々のくだりで決定的に合わないと感じたのは、これはもうしょうがないことだ。生理的なものだと思う。・・しめ鯖のせいもあるかもしれないが。
自分の普段の読書傾向からいって、今までにこの著者の他の本と縁があってもおかしくなかったと思うのだけど、手に取るのはこれが初めてだった。たぶんもう読まないだろうなあ。
いきなり生臭いものを突きつけられたくはないもの。
追記
自分はたいへんに狭量なたちで、その人を深く知る前の段階で何か一つでも(ああちょっと嫌だな・・)と思うことがあると、もう絶対に仲良くできないだろうなと決め込んで、徹底的に避けるようなところがある。
それは実際の人付き合いからしてそうで、今までにその思い込みを覆して仲良くなれた人は、一人二人しかいない。偏屈なところがあるのだ。
本の著者に対しても同じ。さらに、読書は人付き合いと違って、純粋に楽しむものと割り切っているので、臭い思いをしてまでわざわざ読まなくていいと思っている(だから偏る)。
今回の著者と合わなかったのは本当に残念だが、しょうがない。
(あと余談だけど、山内マリコさんの本も、多分どんなに薦められたとしても、よほどのことがなければ読まないと思う。ファッション誌に寄稿された際、30代になってイルビゾンテの財布を持っていたらちょっと恥ずかしいって書いてたからだ。
ものすごく、ものすごーくカチンときた。
本を手にとって1ページでもめくればきっと面白く読んじゃいそうな気もするけど、最初に鼻についた「見下されてる感」みたいなものは、ずっと残りそうな気がするのだ。忘れられたらどんなに楽か。この狭量のせいで、随分と損してるんだろうなと自分でも思う。)
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