ZARAで、春色のデニムを買ったんざます。
同じくZARAの、紺のガウンコートにめっちゃストールの毛がついている。しょっちゅうコロコロしているのに、なかなかとれない。
そろそろあきらめて、クリーニングに出さねば。・・・いや、もう2月も真ん中すぎるとこだし、このままシーズン終わりまで引っ張れるだろうか?
ものすごい色のエコバッグは、青山のヌキテパで買い物をしたらくれました。
この色にひとめぼれしたんですよね。ライトリラ色って書いてある。
上のコーデの日は、油断したら凍えそうなほど寒かった。
うって変わって、こちらはとっても暖かかった昨日のコーデ。
ドレステリアのチャコールグレーのスウェット。
この格好で待ち合わせてOKに買い出しに行ったら、「全体的にエコバッグと同じ配色じゃない?」というご指摘がともちゃんから入ったのであった。それもそうだな。
エコバッグのMサイズは、小さめ自転車のカゴにもぴったり。
この日は、中学の説明会でした。大きな茶封筒は、必要書類の束・・。物販も同時開催だったので、体育館用シューズと上履きも買ってきました。箱ごとしっかり入った。いよいよだなぁ。
・・・・・・・
ところで、昨日ショッキングなニュースが飛び込んできた(21年ぶり2回目)。って、甲子園出場じゃねえよ。・・・槇原敬之の逮捕の話ですよ。
すぐには考えがまとまらなくて、今もなんとも言えないんですよ。
マキハラは大阪の人で、私が息子くらいの時、いくつかあっちでも聞けるラジオ番組を持っていた。
ひとつは(たぶん)TOKYO FM制作の全国ネット番組で、日立製作所の一社提供だったと思う・・「槇原敬之の日立 クロース・トゥ・ユー」という番組。日曜の昼間、30分間くらいの番組だったという記憶が。
もうひとつは、FM802の夜の看板番組「MUSIC GUMBO」。これも日曜の番組だった。隔週で、KANと交代でパーソナリティをつとめていたはず。2時間弱くらいだった記憶がある。けれど、聞き始めてしばらく経った頃に、桜井和寿と入れ替わりに降板することになる。
中一くらいの頃、好きなラジオ番組が2本もある日曜が、一番楽しみな曜日だった。少ない小遣いからがんばってCDも買った。
友達と貸し借りしていたら、同級生のヤンキー女に「お前ら知らないの?あいつホモだよ。超気持ち悪い」とか言われて、超憤慨してめっちゃ反論した。
「ホモかどうかは知らんがこのCDに入ってるのはいい曲ばかりだし、だいたいホモってそんなに悪いんかい」みたいなことを半泣きで言った覚えがある。頭でっかちの陰キャだったので、ヤンキーが怖かったんだろうな。まあしかし、全力で頑張った結果である。
大阪の田舎はヤンキーがマジで怖いし、マウンティングも激しい。自分の世界を持っていると徹底的に叩かれる。マイノリティは生きていけない。
・・高槻は泉南ほど田舎じゃないだろうが(チョコレート工場もあるしな)、マキハラが出て行きたくなったのもわかる。「軒下のモンスター」の歌詞にあるように、「普通に結婚して 子どもを何人か授かって それ以外は幸せとは 誰も信じないようなこんな街」なのだから。
今思えば、弱者の心に刺さったのは必然だったのかもしれない。
息苦しかった中高生時代だったけど、「遠く遠く」を聞きながら、いつか東京に出る日を夢見たりした。自分で稼ぐようになったら、いつか絶対にコンサートに行こうと思っていた・・・。
でも、私が全力で暗黒の田舎時代を乗り越えて東京に出た、その翌年、マキハラは捕まった。
どれだけショックだったか。忘れもしない、たしか夏だった。西早稲田の友達のマンションに入り浸って、漫画を読んだりガンプラを作ったりしてだらだらと遊んでいる時に、ニュース速報で知った。「パートナーである同居男性と一緒に薬物をやってて捕まった」。
最初わけがわからなかった。あっという間に店からCDが全部消えた。ラジオの「クロース・トゥ・ユー」も打ち切りになった。出たばかりのアルバム「Cicada」をすぐに買っておけばよかったと思った。お金がなかったのだ。その前に出たシングルの「Hungry Spider」は買えたのだが。
ジャケットがボロボロになるくらい聞いたCDを眺めて、ああ、あの田舎のヤンキー女の言ったことが世間様というやつの全てだったんだなと思った。大勢の人にあたたかく強くメッセージを与える人だと思っていたけれど、向けられた白い目の数々を笑い飛ばすほど強い人ではなかったのだ、と。
それでも、こんなことってあるかよ、と思った。なんでFC入ったりコンサートに行けるくらい私が稼ぐようになるまで待ってくれなかったんだよ、と。
若い頃に一心に信じていた何かに裏切られた経験というのは、なかなか忘れられないもんだ。
復活してももう、同じような熱量で応援する気持ちにはなれなかった。
あんなに欲しかった「Cicada」が店頭にまた並ぶようになっても、もう買わなかった。社会人になって少しは余裕もできたというのに。本物のファンじゃなかったんだと言われたら、それまでかもしれない。若かったのだ。
・・そして20年余が過ぎた。
それでも、最近はちらほらといろんなテレビ番組に出るようになったし、大好きな「関ジャム」や「久保みねヒャダこじらせナイト」でも、度々見かける。嫌いではないけど、正面からじゃなくて、なるべく横目で見るようにしていた。
正面から見てしまうと、あっという間に10代の頃のショックが蘇る気がするからだ。もう裏切られたくないし、いい歳だし、もう人の親なんだし。うまくやれている自信はないが、曲がりなりにも家庭を持って、普通の親であり、子どもを幸せにしたいと思っている。自分が生き辛い人間だということを思い出してはならない。
今年はPTAの広報委員会に入っていて、年末くらいから卒業生のためのページ企画を立てていた。
事前アンケート(「人生の一冊」とか「座右の銘」とか、そういう感じの)を作って、それを元に担任の先生たちにインタビュー取材をおこない、卒業生にロングメッセージを贈るというものだ。
その事前質問の中に「12歳に贈る一曲」という項目を作ったのだけど、実際取材に行ってみたら、4人中2人がマキハラの曲をあげた。
2人とも、まだ20代の若い先生だ。ひとりは「僕が一番欲しかったもの」、もうひとりは「世界に一つだけの花」を挙げてくれた。
その場では言わなかったけど、私は内心とても嬉しかった。まだ若い教育者たちが、その2曲を挙げてくれたことが。事件の後の作品だ。今や音楽の教科書にだって載っている。どれだけ日本の教育に影響を与えているか。
嬉しかったので我慢できずに、「なるほど。いい曲ですよね。それに彼の場合は、派手に転んで立ち直った人の言葉だから重い、人は失敗してもやり直せる、ということを体現しているところが素晴らしいですよね」なんて言葉を挟んだのを覚えている。
まだ数週間前の話だ。
どうしてくれるんだよー。
きっと私と同じように思ってた先生も、それを生徒に話した先生も、日本中にたくさんいるよ。やっぱりそうじゃなかったなんて、今更言えないよう。
「なんとも言えない」とか言った割には、いろいろ書いてしまった。書きながら明確になっていくことってあるなあ。
2コメント
2020.02.15 04:25
2020.02.14 22:53