土曜は、やらねばならないことを朝からひとつひとつ注意深くこなした。
がま口のご発送が今回40件以上あるうえに、似たような品が多いので、検品し、番号を確かめ、数や送り先に間違いがないように気をつけながら、レターパックに詰めていく。
それからまずは図書館に行き、面白かった本と挫折した本を返し、新しい本を受け取った。足りないレターパックを買いに大きな郵便局に行ってから、セブンイレブンで週末クーポンをおにぎりを交換する。なぜか(酸っぱすぎてあまり好きではない)梅味しかなかったが、旦那さんと2人で半分に割ると、ちょうどいい酸味になった。
友達に送る小さいお菓子を高島屋に買い求めに行った時、突然ともちゃんからLINEが来て、三浦春馬の訃報を聞いた。オードリーの焼き菓子の前で知ったのだ。
お互いものすごい衝撃なので、並んでる間にともちゃんとあれこれLINEで話した。JUJUとやってるNHKの番組で、マリハの人に頼んで作ってもらってた綺麗な石の指輪の話とか、優くんのルポルタージュのMVの話とかだったと思う。
こういう亡くなり方をした人の話をあまりしないほうがいいという意見が多いのだろうけど、自分はあの人がこの世にいる間に頑張って燃やし続けて見せてくれたことの中で素晴らしいと思ったものや、好きだったという話を、いま友達とたくさんしたい。野次馬根性であれこれ言う人もいるだろうけど、光が鮮やかなうちに、言葉にしてとどめておきたいという人だって、たくさんいるだろうと思う。
ずっと出ている人だし目にしていたけれど、自分が一番好きなのはやっぱり、カズオイシグロの「Never Let Me Go」の日本版ドラマ、「わたしを離さないで」の友彦役だ。
ちょっと前のブログに書いた「やっぱりトビーマグワイアの話」の項で、アンドリュー・ガーフィールドがイケメンすぎてパーカーの気がしないというようなことを書いたのだけど。映画版の「Never Let Me Go」で三浦春馬と同じパートを演じていたのが彼で、自分にはその役のイメージが強かったんだと思う。ガーフィールドを初めて見たのがその映画だったから。
もうだいぶ前のことになるけど、当時も原作を読んだり映画を見に行ったりしたときSNSに感想をめっちゃ書いてたし、まわりの友達は覚えてるかもしれない。原作を読んでから、キネカ大森というすごい小さい映画館で見た。
映画を見てからドラマになるまでだいぶ間があいたのだけど、主人公が綾瀬はるか、トミーが三浦春馬だと知った時は素晴らしいと思った。キーラ・ナイトレイのパートが水川あさみなのはさいしょ違和感あったけど(だって女から見て嫌な役だから)上手に演じていて、原作の雰囲気には近かった気がする。
そもそも、原作自体がほんとうに嫌な話なのだ。でも読んだら好きになってしまって、映像化するたびに追ってしまった作品。映画は原作の思わせぶりな不穏さと美しさをググッと2時間弱に濃縮した感じ。ドラマは原作の美しい部分を引き伸ばして盛った感じに、不穏さはより淡々と丁寧に細部まで描いていったという感じの印象だった。どっちにも別の良さがあると思う。
ガーフィールドは、繊細なんだけど普通っぽいところもあるトミーの役をよく演じていたと思う。変なちょっとダサい髪でもキラキラしちゃう、美しい若者だった。
三浦春馬が演じた日本版の友彦もそうなんだけど。絶対に普通の若者にはなれないし、かつそういう教育を受けてきているはずなのに、成長に従って自然に、普通の人間と同じように感情や欲望の発露があり、繊細で、かつ普通の男子っぽいところもあるんだけど、後半はそれが少しずつ目減りしていって最後はゼロになるという、たいへん難しい役だと思う。
生きていたいのに、生きていたいと思うことすら許されない境遇なのだ。でも最後は奪われる運命に従いつつ、小さな望みに輝きを見出したり(人によってはそれにしがみつこうとしたりも)するんだけど、結局それも摘み取られ、諦めて徐々に時間をかけて「終了」していくという役だった。
いったい生とはなんなのか? 魂とは何か? 遺伝子の優劣とは? 個体の発生状況によって命の尊さに差異が生まれるのか? そんなことが本当に許されるのか?ということを、ひたすら問いかける。
そんな役をしっくり演じられるってすごいことだ。自分の中にその葛藤が存在しないと演じきれない役だと思う。こんなことになったから言うのじゃないけれど、3人の主要人物の中で彼が一番うまかったと思う。主役の綾瀬はるかの美しさや存在感もすごかったけど、やっぱり彼女からは、自身の持つ人としての強い生命力みたいなものがいつでも滲み出てるからなあ・・・。
昼間のテレビを今日はあまりつけなかったんだけど、たまたまつけたら、三浦春馬のイギリス留学中にルームメイトだったという人の話をしていた。オートミールのおかゆばかり食べていたのでスーパーマーケットに連れて行ったら、なぜかパスタとかではなくパイナップルを大量に買って、朝も夜もそればかり食べていたという。
その話が頭に残っていたので、さっきコストコに行った時に買った。甘くて美味しいが、たくさん食べると舌に刺さって麻痺してくる。
テレビはつけなかったと書いたが、ラジオはつけていた。伊集院光の朝の番組で、やはりこの話になったのだけど、去年彼がゲストに来た時のエピソードが語られ、その時の音声が流れた。
上のリンクから、そのくだりがタイムフリーで聴けるのだけど、エリア外の方は・・・去年出てくれた時にこのような話をしていましたという記事が、これです。
ときにイケメン俳優として括られることについて、一生懸命言葉を選んで伊集院とこういうやり取りをしたあと、CMの間も、本当にこの言い方が正しかったのかどうかということについて、もう一度考え込んだり、精査している風だったと。
この繊細さや精密さのようなものが、もしかしたら負の方向に出たのかもしれない・・という話だった。なんとなく、その話はちょっとだけわかる気がする。本当にちょっとだけだけど。
自分は、ここのブログにいつも書いているようなことを、言い回しの通りがもっと良くならないかとか、自分の心の中に存在するものと寸分違わぬものであるかどうか、それは無理でもなるべく近くはならないか、誰かに誤解を受けるんじゃないかと考えて、アップした後も推敲したり、言い方を変えたりすることがある。抱いた違和感が薄く薄くなるまで。
これを、生番組や舞台でするのって、ほぼ不可能だ。前もって完璧に準備するか、普段からそれに沿って生きることで確固としたものを作るしかない。すごいプレッシャーだろうに、それを若い頃から何年も続けてきたならば、相当しんどかったんじゃないかと思う(・・ということで、そう言った伊集院の気持ちはわかる気がした。あくまで伊集院のラジオを聞いてそう考えたという話だ)。
テレ東の、YOUは何しに日本へ?の有名な神回で、彼に会うことができたロシア人の女の子たちがいたけど、彼女らのニュースを夕方見た。大好きな存在が自分の前から突然去った時、受け容れて「今まで頑張ってくださってありがとう」って言えるって尊いなと思った。どんな結果より辛くてたまらない、理不尽な別れ方のはずなのに。
もう一人の方の子は「皆さん、自分自身と最愛の人を大事にしてください。必要な時に援助を求めてください。自分の命より貴重なものは何もありません」とコメントしたそうだ。
まったく、その通りだと思う。
でも、何かの事情でそうできなくなったとき、どんなことも、最後に何を選ぶことも、その人の心の自由で、その権利がたったひとつ残されている、と思っている自分もいる。相当昔からいるのだ。置いて行かれた周りの人間はたまったもんじゃないってことは、もちろんわかっているけれど。そうなる前に、助かった方がいいに決まっているけれど。
自身や愛するものの存在を、大事にしても許される境遇でいられて、よかった。今そういう日々を生きていられて、よかった。これからも、自分の周りはそうであってほしいし、失わないように守りたい。
だって「Never Let Me Go」は、最初からその権利を奪われていて、最後まで奪われ続ける人たちの物語だったから。どんなに強く抱きしめても、お互いの身体を守ってあげられないことの虚しさといったらなかった。
その運命に抵抗して、自分でその時を選ぶ登場人物も存在した。奇妙に共感したのだった。
もしかしたら、彼も・・でも、もうそんな話はやめた方がいい。結局本人にしかわからないことだし、詮索もしたくないし、何を言っても戻らないのだから。
いい男だったね。しばらくみんな忘れられそうにないよなあ。
4コメント
2020.07.21 14:07
2020.07.21 05:22
2020.07.20 23:37