近所の崖のばらが咲きました。
連休はあんまり遠くへ行かず、いつも通り近場で過ごした感じ。近年気づいたことだが、わたしゃ混んでる時にわざわざ混んでるところに行くのが苦手なのだ(目的が買い物の場合は除く)。
飛び石の平日、午前中に整骨院に行ったのだけど、あまりに腹が減って帰れず・・。旦那さんに「空腹で目が回りそうなので駅前の蕎麦屋に行きます」とメールしたら救助に来てくれた。
前を通るばかりで一回も入ったことない店だったけど・・
普通に美味しかった。最近行った(逗子とか、横浜駅のへんとかの)他の蕎麦屋に比べたら大衆的な味だったけども。
ただ、やっぱり量はちょっと多いなと思った・・しかし蕎麦屋の丼物はうまい。
私が乗ってきて上り坂の途中で持て余した自転車に、颯爽とまたがる旦那さん。だいぶ髪が白くなってきたけど、似合うと思うので、もう染めないで欲しいなあ。
連休のことを思い出してみる。始まった直後に、いくちゃんとともちゃんと誘い合わせて、南町田の公園に行った。weekend groceryさんやle petit bourgeonさんが出店するイベントがあったので・・
どちら様もしばらくぶりの対面販売だったし、思いがけない人たちと再会できたりしたので嬉しかったなあ。いくちゃんがインスタで全員の似顔絵を描いていたが、見事に特徴を捉えていたのでびっくりした。2割増しくらいに可愛く描いてもらってありがとう(笑)
いつも通り、季節のハーブティーやお花の飾りをいただいてきました。
リースは大きいのと相当迷った!この小粒でキリッとした感じが良くて、小さいのにしました。あしたのジョーの横顔に似ている気がするので、矢吹丈と呼んでいる。どこに吊るすか色々考えて、結局ダイニングの自分の椅子のそばにした。
これで、倒れても倒れても立ち上がれるぜ!!(いやそれはどうかな・・)
ちはやちゃんとこからは、お皿を2枚。あーかわいい!可憐!!
・・・。連休、他に何したかなあ。
そうだ、カツ丼を食べに行った。西荻まで。
しばらく前に何かで、吉本ばななの連作「キッチン」「満月」の最後に出てくるカツ丼のモデルがこの店のものだと知ったので(あくまでこの店がモデルというわけではないらしい、丼だけってことだろう)、食べてみたいなあと思ったのだった。
読み返した直後が一番うまいだろうと思い、本棚の奥から引っ張り出してきて、持っていくことにした。横浜から西荻は遠いので、短編2編くらい軽く読めるだろうと思って。
そんで読み終えたところで、「最高においしく味わうためだから!カツ丼を!!今読むんだ!!」と、半ば無理やりともちゃんにバトンタッチ。
ちゃんと話に乗って読んでくれるともちゃん。30年くらい前の本だろうか。もっとか。このころの装丁はすごい可愛くて、紙もいいの使ってて、お金がかかってそう。
電子書籍には絶対にない良さがあるし、図書館本だとラミネートしちゃうから、カバーではなく本体に施されている加工などは見ることが叶わないのだ。若い頃、何度もなんども読んだはずの宝物。ヨレや擦れも自分とリンクした読書の歴史である。
いい店かどうかはさておき、カツ丼は本当に美味かった。機会があったらまた行きたいけども、次行く時は汚れたら嫌なお気に入りのバッグとかは持っていかないようにしようと思う(・・何かあったらしい)。
それから、まこちゃんの新婚ハウスにおじゃましてきた。
懐かしのテーブル!引っ越す前のともこハウスにあったやつだ。嬉しい再会だった。
まこちゃんは、コーヒーが飲めない。でも、今回マーレ・ド・チャヤのケーキを持って行ったら、すごく上手に淹れた美味しいコーヒーを出してくれたので、びっくりした。
どうやら旦那さんがコーヒーにこだわりのある人で、教えてもらって練習したらしい。ああ、いいな。お互いの違いも大切にして、幸せに暮らしているのだ、と思った。本当に良かった。
なんともキュンです!な新婚エピソードである。
連休前半は、そんな風に過ごした。後半の話は、また近いうちにしようと思う。
・・・・・・・・・
*今週の押しピン*
脳内の壁に刺さった瑣末な話題やささやかな出来事についてのメモです。
・タイヤの味の話
端午の節句の時、「ちまき食べ食べ♪」の歌でおなじみの行事食・ちまきが、実は全国区ではないという話題を度々目にした。たぶん、柏餅のほうが一般的なのだろうか。
自分の育った南大阪では、普通に柏餅もちまきも食べるし、この時期は和菓子屋にも両方あった気がする。そして、小学校の時、給食には行事食として、ちまきの方が出た。毎年だ。
こどもの頃、私も相当な偏食だったけど、3つ下の弟はもっとひどい偏食だった。私は頑固で、口に入れたくないものは絶対に入れないというタイプで、弟は満遍なくいろんな食べ物が苦手な、気の弱い子だった。たぶん、二人とも嗅覚が敏感だったんだろうと思う。
それでも、私はちまきが出てきた時は、なんてことないなと思って包みを開き、普通に食べていた。甘いものが好きな弟もきっと食べただろうと思ったのだけど、連れ立って帰る道々聞いてみたら、弟はどうしても気持ち悪くて食べられなかったという。
「あれ、タイヤの味するやん」「・・・タイヤ食べたことあるんか?」「ないけど」
だから小学校の6年間、弟はちまきを食べなかったと思う。
5月にちまきの話題が出ると必ず蘇る、幼い日の思い出だ。
・関ジャムの話
若手アーティストが選ぶ“最強平成ソングベスト30曲”の回を見た。
個人的にはミスチルが一曲も入ってないのが衝撃だったが・・。
あと数年で還暦の旦那さんと、昭和55年生まれの私と、Z世代の息子氏と、家族3人全員が楽しく見られる番組であった。「単純そうに見えて実はああいうドラムは難しい」と息子氏が講釈を言ったりして可愛かった。あれはいい番組だ。
旦那さんが行ったサチモスのハマスタ公演がちょっと流れたので、ああこれがあの時の・・と思った。旦那さんも私も、行きたいと思ったらどこへでも一人で出かけていくタイプだ。
一番年長者だし、旦那さんはもちろんあのランキングが全曲わかるのだけど、私は一曲だけ一切聞いたことのない曲があった(丸ノ内サディスティック)。どんな有名な曲でも、意識して排除すれば耳に入ってこない(もしくは脳に定着しない)ものなんだな、と思った。
14位にサザンの「TSUNAMI」が入っていたな。桑田佳祐が歌っているのを映像付きで見ると、あのサビに登場する「お喋り」という単語の、なんとも言えない・・急に内股に入る感じが微笑ましくていいなと思った。
あれは確か自分が大学生の頃の曲で、男子がみんなカラオケであれを歌っていた気がするのだが。当時から「おしゃべりって!女学生3人組とかがするものじゃないのかよ!」と思っていた。それを、桑田佳祐が突然言うからいいのだ。
そんな話をしていたら、まあ、予想通りに「世界に一つだけの花」が上位に入っていて、本当にいい作品なだけに、槇原敬之のことが残念でならないな・・とつい思ってしまう。
最初に逮捕されるまでずっと好きだったし、ラジオも聴いていたし、上京してお金に余裕ができたら見に行きたいと思っていたのに、ある日突然捕まったのでめっちゃショックだったなあ。そんでもう捕まらないと信じてたのに、また数年前に捕まった・・もう捕まらないで欲しいよう。
むかし槇原が住んでた横浜の家というのが近くにあって、時々そこの前を通ることがあるのだけど、こないだ通ったら、ついに更地になっていた。
絶対に最高の眺めだろうなと思う立地で、立派な建物だったのに。そんな長いこと住んだ感じでもなくて・・いつか帰ってくるんじゃないかなあと密かに思ってたのになー。2回目の逮捕の前に手放したと何かに載ってた気がするが、まさか取り壊すとは。何だか、本当に全体的に色々ともったいない。
・ジェネレーションギャップの話
こないだ、整骨院で20代前半の若くて可愛い女の子に施術してもらった時があって、まあいろいろあってホットペッパーの話題になった。
その先生が「わたし足つぼ行きたいんですよ!どこがいいですかねえ」と言うので、
「あっ私中華街の足つぼ屋に行ったことありますよ。そうだ、やってもらってたら、リリーフランキーが入ってきて、隣の席になったんですよ」と、取っときのエピソードを繰り出したら、「・・・誰ですか?外国の人かなあ?」と首を傾げられてしまった。
嘘やろ・・・!?!?
と思い、起き上がってたまたま視線が合った別の若い男性スタッフさんに
「・・・知って・・ますよね・・?リリーフランキーですよ・・」と恐る恐る尋ねたら、「あ、名前くらいは聞いたことあります!何してる人でしたっけ?」という返答が。
20代の子は(人によるだろうが)リリーさんを知らないのか。。。それとも、わたしの認識よりもあの人の知名度は低いのか。
数日後、連休明けに、彼女らと入れ替わりに帰ってきた40代のいつもの先生に「若い先生らはリリーフランキーを知らなかったです」と言ったら「まじですか!?そんなことある…?」と驚かれたのであった。やっぱりそうか。。歳を感じる出来事であった。
もしかして、おでんくんって言えばよかったのか?そうなのか。
・昼ドラの記憶の話
記憶を遡ってみて、自分の一番古い昼ドラの記憶は、春休みにおばあちゃんの家で見ていた「華の嵐」だと思う。ウィキペディアを見てみたが、それより前は記憶にない。
88年1月から4月初めまでの作品だから、自分は2年生だったはずで、確かその年の1月に父方の祖母が亡くなり、そのあとは短縮授業や長い休みがあると、夕方まで隣町の母方の実家に預けられていた。だから、その年からは、ちょいちょい昼ドラの記憶があるのだと思う。
おばあちゃん家の茶の間でコタツに入り、おやつをもらったり折り紙をしたりして、一緒にドラマを見ていた。まだ弟は学齢前だったので保育園にいて、わたしとおばあちゃんの二人だった。・・・内容がわかるとは思ってなかっただろうなあ、おばあちゃんも。
数日前思い出して、ウィキペディアでストーリーの全容を把握したのだが、まあ、大まかには記憶の中の印象と相違ないということがわかった。
主人公は高木美保で、これがものすごく美しく誇り高い、華族のご令嬢。そんで、彼女の父である男爵に復讐心を燃やし、令嬢をたぶらかして捨ててやろうと近づいてきた、精悍な美しい青年。それが渡辺裕之だった。きりりとしていて、情熱的な役がぴったりで、本当に格好良かったのだ・・・。
最初は反発しあう2人だったが、やがて激しい恋に落ちる。しかし、2人には容易に結ばれない、過酷な運命が待ち受けていた・・みたいな感じだ。
最も印象に残っている部分は、おそらく短縮授業に入ったであろう3月だから、もう中盤を超えて終盤に入った頃だろうと思う。渡辺裕之が戦死したと思い込み、悲しみに耐えて男爵家を守るため、兄のように思ってきた長塚京三演じる親戚のお兄様と結婚した高木美保。しかし戦死の報は間違いで、渡辺裕之は帰ってくるのだが、時すでに遅し。
またお互い憎み合うようになり、いろいろあって敵味方に分かれてしまうのだ。確か華族としての面子を保つためになりふり構わず働いた結果、長塚京三が「マムシ男爵」高木美保が「夜叉夫人」とあだ名されるくらいあくどい事業家夫婦となってしまうの。そんで、地上げされる側にかつての恋人渡辺裕之よ。
もう、このくだりが幼い心に、強烈に印象に残ってるわけ。こないだ見た時は優しく気高い令嬢だった高木美保が、数週間見ないうちに、夜叉夫人になってるわけですよ。さすが昼ドラである。「やしゃって何?」とおばあちゃんに聞いたと思う。小2の語彙の中にはない単語であった。蛇の姿をした怖い化け物のことだと教わったと思うなあ(合ってるかどうかは知らない)。
しかし、それより何より、幼心にもっともっとショックだったのは。傷心の渡辺裕之が、ご令嬢のことを思い切った後、ぜんぜんお似合いじゃない、すげえ冴えない割烹着着たような下宿のおばちゃん(と、当時8歳の目には見えた)、しかも子持ち、と結婚してたことなのよ・・・!!!
今画像とか見てみると、居酒屋の女将(2階を下宿に貸している)に身をやつしてはいるけども、多分、まあまあ綺麗な人がやってるのよ。でもさ、とにかく高木美保の美しさが尋常じゃなかったわけです、当時。しかも一切所帯じみてない華族のご婦人な訳だから、やっぱりどうしてもしょうがないよね。
なんかもう、それだけでめっちゃ裏切られたような気持ちになったわ・・。いやわかるよ、ずっと陰で支えてくれてたもんねおばちゃん。心優しいいい人だったよ。そのシチュエーションならしょうがないよ。でもさ、でもさ・・・!!少女ゆきちゃんは悲しかったんだよう!
最後にはそのおばちゃんも、長塚京三も死んじゃって、そこまでは見た気がする。マムシ男爵はあまりいい死に方ではなかったような・・・。最終回は見てないけど、ちゃんと結ばれたんだなあ。よかった。
いや、よくはない。悲しすぎるよ渡辺裕之。
同い年くらいの大体の人にとっては、どうやらリポDのCMでファイト一発言ってたのが一般的な印象らしいが(ソースはともちゃん)、私にとってはあの・・・馬に乗って駆けてゆき颯爽とご令嬢をさらった、精悍な美しい青年なのだ。いつまでも、いつまでもだ。
どうか安らかにと心から祈りたい。
一緒に見ていたおばあちゃんも亡くなって、ただでさえ悲しい年なのになあ。ああ・・・。
4コメント
2022.05.21 12:07
2022.05.16 21:46
2022.05.11 05:28