☆2023/11/05
ご近所でも、徐々に紅葉はすすんでいる。
昨日はすごい暑かったのだが、今日はちょっとマシな気がする。また急にガクンと下がる時が来るんだろうか。頭痛にならないようにしなくては。
朝から薬を飲んだ。
この夏、ムーミンマグというものを初めて買った。色が少なくて気に入っている。毎朝の薬を飲むときによく使っている。
昨日午後から増やしたノベルティの中から、ソープのものをご紹介。自分は、初めて買ったリバティの洋服がソープのワンピースだったので、好きな柄なのだが、残念ながら近年はあんまり人気がない気がする。こういうぎっしり詰まった余白の少ない生地、好きなんだけどなあ。どことなく秋冬っぽい感じがするのもいい。
人気のフロントファスナーポーチですが、これはパスポートが入る大きさなんだそうで。当工房ではパスポートサイズの薄型がま口は扱ってないので、いつか海外旅のおともにしたい方は、がま口を2個買ってこのポーチをつけていただいて・・・(笑)
角型口金の大きいサイズの薄いがま口って、どう作っても物を入れるとちょっとダサい形になる気がして、試作はしたことあるけど、どうも気に入らなかった。時々リクエストはあるけど、底を深くすると力不足でどうしても野暮ったくなってしまうので、どうぞマリメッコのやつを買ってください。マリメッコのは素敵だからおすすめです。
この番組が嫌い(あ、嫌いとはっきり言ってしまった)なので、うっかり始まろうものならすぐにチャンネルを変える。なぜがま口をすぐに現金と結びつけるんだろう。このキャラクターを見ると嫌すぎて顔を歪めてしまう。櫛形がま口全般のパブリックイメージを大いに下げていると思う。こんな下品なことはやめてほしい。
キャラクター説明欄を読んでみたら「お金が大好きなリスの妖精。かわいい顔をしながら、聞きにくいお金の話をズバッと聞きだすのが得意。興奮すると、頭のがま口からお金がふきだすことも」と書いてあった。やばい、プロフィールの何もかもにイラっとするわあ!
単純にがま口の造形としてもこの形は美しくないと思う。ああいやだいやだ。
日本シリーズ第7戦があるので、今週はBS4K家康してしまった。まあ史実なのでネタバレにはならないのだろうが、彦殿と千代の壮絶な散り際。さすがに泣いたわ。たぶんあと2回は見るな。
いつでも画面に出てくるだけで不穏な雰囲気を醸し出す古川琴音ちゃんは、我が家ではホットサマーマーサの子と呼ばれているのだった。今回はだいぶ長きにわたって神出鬼没に出てくる役だったけど、不穏なだけで終わらず、さまざまな内心の葛藤をその都度うまく表現していた。そして立派な最期であった。
もはやあと何回あるのかわからないが、家臣団の家康より若い感じに見えてる子たちも、みんな家康より先に死ぬだろう。今から寂しいな。
役が決まって発表された時だか、もっと放送開始の直前だったか・・どちらにしてももはや一年ほど前になるので、顛末の詳細が違ってたら申し訳ないのだが、山田裕貴のラジオで最初の報告を聞いたのを覚えている。
本多忠勝役をとのオファーに、ずっとやってみたかった服部半蔵役をやりたいんですが・・!とダメ元で言ってみたら、まあ断られたのだが、誰がやるんですかと聞いて山田孝之だと知って、それはしょうがないわと素直に諦めたというような話であった。いや、本多平八郎忠勝以外ないでしょ。大正解だよ。
夜に撮ったら大体色が実際より暗くなっちゃうのだが、せっかくできたので。こうやって引きでみるとシルバースターは目立たない。
ミスチルのナカケーさんも、江國香織も、若ちゃんも、たいっきゅんも、皆大喜びであろう。38年ぶり2回目だそうで。私がじっと見てるとオリックスが負けると昨日は言ってたのに、やはり見たくて見てしまった。とほほ。ごめんよ藤原丈一郎。オリックスはたぶん来年も上がってくるよ。阪神はどうか知らんけども。
DOC2を見ている。ロレンツォの死に関する真実が明かされる回であった・・だいぶ重かった。登場人物全員にとってめちゃめちゃ重たい、重たい話であった。一人一人が抱えてしまったものを今後どう乗り越えていくんだろうか。いや、乗り越えずにずっと抱えていくのかもしれない。
そして、ジュリアとちょっと付き合いかけてる新入りが悪いやつかもしれないの、まじでめっちゃきついからやめてほしい。アンドレアに忘れられ、コロナに罹って流産してロレンツォにまで死なれたのに、これであいつが悪いやつだったらもういたたまれないので、いいやつであってほしい。もうジュリアを誰も泣かすんじゃない!!
☆2023/11/06
ゆうべ、日本シリーズ最終戦の最後は、ちろちゃんとLINEしながら見ていた。TVerは便利だな、海外からでもちゃんと阪神日本一の瞬間が見られるのだ。
マレーシアは雨季で、暑いらしい。スコールで雷が鳴っているという。
横浜もなぜか11月にしては信じられないくらい暑くて、半袖で窓を開けているよと話した。スコールも来たりしてね!などと言っていたのだが、本当に来るとは思ってなかった・・・明け方にすごい強い雨が降ったらしく、うっかり干しっぱなしにしていたジーンズがずぶ濡れになっていた。うへえ。
それにしても暑いな!
家の中で物を運んだりして、あっちこっち行ったり来たりしていたせいもあると思うが、もう暑くてたまらず、ついに冷房をつけてしまった。11月やで??
少し前から日が翳って、涼しい風が吹き始めたので、ほっと一息ついている。天気が崩れないといいなあ。
きょうは口金はめをしたり、口金の在庫数を確かめたりしていた。作業はまあ、予定の半分くらいは進んだ。ぼちぼちとやっていこう。
無印良品週間に参加しなかったことを後悔している。引きこもっていないで、何か買いに行けばよかったかも。しかし、今週末からルミテンなので、ニュウマンの無印に行けばいい気もする。ノースフェイスのニットシューズが欲しいので、検討のためにまずはサイズを見に行きたい。天気がもう一度悪くなる前に。
夕方、下山の用事ついでに、ともちゃんを職場に迎えに行って、コストコへ・・はいかず、おうちの近所に送り届けてから、一人で無印良品へ。滑り込みで良品週間に参加し、ウッディのルームフレグランス詰め替えと、浴用タオルを買った。
スーパーで鶏胸肉を買い、夕飯にはリュウジさんのエンドレス鶏むねを作ってみた。息子氏も旦那さんも美味しいと食べていたが、私はダメだった。たぶん、バターを使った料理を消化しにくいんだと思う。もしかしたら朝からパンを食べられないのもそれでかもしれない。次回作るとしたら、最初のソテーの時に違う油を使ってみよう。
削ぎ切りにしたむね肉に片栗粉をまぶし、バターで炒めていると、懐かしい匂いがした。高校の修学旅行でオーストラリアに行った時、大体出てくる食べ物はこの匂いだった気がする。当時からあんまり好きではないのに、懐かしい気持ちにはなる。高2の11月だった。
楽しい思い出がたくさん残る旅だったのだが、ひとつだけ、どうしても引っかかる出来事があった。それに長いこと蓋をしていたのだが、最近それを友達に話す機会があって、いろいろ詳しいことを思い出した。
当時も何か変だと思ったのだが、今あらためて考えるとやはりだいぶ変な出来事で、なぜそうなってしまったのか、誰か一人のせいだったのか、大人だけのせいだったのか、それとも生徒も含め関わった全員のせいだったのか、と考え込む。
話が上手くないので、どういう出来事だったのかちゃんとわかるように話したいのだが、何から書いていいのかわからない。要点だけ書けばいいのだろうが、それでは伝わらない気がする。だからたぶん、この話はとても長くなってしまう。
その先生は、20代の中盤に差し掛かったくらいの年頃の女性で、英語の先生だった。多分それくらいの歳だったはずなのだが、当時はもっと歳がいってると思い込んでいた。彼女からはあまり若さを感じたことがなかった。阿佐ヶ谷姉妹の右の人を若くしたような感じだった。仮に名前を雨子先生としたい。本当はもっと違う名前だけども。
私が高校に入学した年に、雨子先生も転勤してきた。姉妹校が奈良にあり、そこからやってきたらしい。私の入ったクラスは今はもう母校にはないのだが、慶應や早稲田の文系学部への入学を目指す英語漬けのコースで、理系科目は最初から最低限しかやらず、英語の時間がすごく多かった。修学旅行は語学留学を兼ねてオーストラリアにホームステイする。
少人数の募集なので3年間メンバーは持ち上がりで、クラス替えはない。内訳は英語コース35人、野球コース10人を合わせた45人くらいだったと記憶している。担任も副担任も基本的に卒業まで変わらない。担任は50代の日本史の先生で男性、そして副担任になったのが雨子先生だった。
少し陰気な人だったが、私は最初の頃、決して雨子先生が嫌いではなかった。入学後すぐにめまいで具合が悪くなり、保健室に連れて行ってもらった時に、優しくしてくれたからだ。その時は本当にめまいがしたのだが、だんだん保健室に寝に行ったりサボりに行ったりするようになったので、すぐ怒られるようになった。高校に入ってから成績がガクッと落ちたし、家庭環境もあまり良くなかったので、もはや真面目に色々やるのが面倒だったんだと思う。
明らかにクラスでも浮いていた。授業中は別の本を読んで話聞いてなかったし、昼になってから登校するようなこともあったし、他クラスの部活一緒の子達との方が仲が良かったので、あまり教室にいなかった。かといって、いじめとかそういうのではない。基本頭のいい子ばかりだったからか、頭の悪いいじめ方をするような人達ではなかったし、野球の人たちは大体机で寝ていた。
今でいう、クラス内での一軍とかのヒエラルキーはあったかもしれないが、他の学校と違って基準は可愛いとかイケてるとかではなかった気がする。3〜4人くらいの集団はいくつもあったし、時期によってはそれに入ることもあった。まあ、周りの気持ちや人間関係に鈍感な子だったから、色々と気づかなかっただけだろう。
ともかく、自分はそんなんだから、クラスメイトの同じメンツと長期間つるむということがなかったのだ。そのせいで、自分が知らないうちにある事態が進行していることを知らなかった。
しかしそんな自分でも、高2の1学期、たぶん夏前くらいから、雨子先生がすごく怒りっぽくなってることには、さすがに気づいていた。元々は、こもった小さい声で授業をする感じの、天気で言うと小雨みたいな感じの人で、でもグラマーの先生だったのでそんなに問題には思わなかったのだけど、まあまあ大きな声で怒ったり、指名して答えられないとネチネチと叱った後、生徒をそのまま立たせておいたりするようなことが増えた。
自分も怒られたと思うが、そもそも授業聞いてないし劣等生なので怒られて当然で、だから特に変だとは思わなかった。
でも、ちゃんとクラスに馴染んで特にサボらずやってるであろう子たちも、なぜか同じくらい叱られていた。名指しして叱責し、途中からは学習内容と関係ないようなことをヒステリックに怒り出したりもした。「あなたがこのクラスの良くない雰囲気を作っている!」と言ったのをよく覚えている。その子は成績も容姿も普通だけど、とにかく誰とでも仲良しの賑やかで明るいおちゃらけタイプの目立つ子で、確かにクラスの中心人物ではあった。
たぶん雨子先生は、みんなに馬鹿にされていると感じていたんだろう。今ならわかるのだが、私はその輪の中に最初から入っていなかったので、わからなかったのだ。
ところで、英語と野球の複合クラスは、一学年に1クラスずつあった。隣の教室に一つ上の学年、つまり高3の野球英語クラスがあって、仲良くしてる優しいお姉さんが2人ほどいたので、時々可愛がってもらいに行った。
彼女たちは当然、私たちよりも一年早くオーストラリアに行っている。高2の夏休みも終わり、いよいよ旅の直前の時期には、持って行った方がいいものとか、あそこでこれを買うといいとか、ここのあれが美味しかったとか、そういう話もしてくれた。
先輩たちのクラスは、私らのクラスよりも、もうちょっと色気のあるというか・・いわゆる女子っぽい感じの人たちが多かったように思う。あいつマジやばい、と雨子先生の話をしていたので、ああ高3でもやっぱり同じ感じで授業やってるのか・・と思った。
ただ、渡航前の予備学習やオリエンテーションなど、旅の準備が進むにつれて、だんだん皆の気持ちも盛り上がってきて、クラスの雰囲気自体はそんなに悪くなかったと思う。少なくとも私は気にしていなかった。高2の秋はそれなりに色々と忙しく、演劇部の公演も確かあったと思うので、在学中一番学校が楽しい時だったかもしれない。
いよいよ旅が始まる直前、たぶん渡航一週間くらい前だったと思うので、11月の始めだったと思う。急に引率の先生が変更になった。担任と雨子先生と、もう一人奈良の上の方から責任者が行くことになっていたと思うのだが、雨子先生は行かず、代わりに急遽、女子の体育を担当している先生が行くという連絡がきたのだ。
自分にとっては寝耳に水の出来事だった。雨子先生は色々買い物をしたりして旅の支度をしていたはずだし、準備学習などの全ての予備行事にも参加して、万端のはずなのに、なぜ急に体育の先生が・・と。
体育の先生は明るいはっきりした感じの人で、可愛いところもあり、叱る時はしっかり叱るけどもさっぱりしていて、いかにも体育会系という感じの、女子にも人気のある人だった。だからまあ、一緒に旅をする身としては全然アリなんだけども。英語圏の場所に英語を学びに行くのに、引率に英語の先生がいなくて大丈夫なのか・・・?というのが最初に思ったことだった。
私はその時までまったく知らなかったのだけど、どうやらその・・ちゃんとやってるのによく叱られてるなあと思った子たちの親たちが、集まってみんなで相談して、学校側に問題提起をしたんだそうだ。精神的に不安定でヒステリックに叱る雨子先生を、子ども達と一緒に何週間も海外へ行かせて本当に大丈夫なのか、引率には相応しくないのではないか、ということを。
後で知ったことだが、雨子先生が姉妹校から移ってきたのは、やはり同じようなことがあって生徒からいじめられたのが理由だったそうだ。精神的にまいって仕事にならなくなり、環境を変えてやり直すチャンスをもらって転勤してきたのだ。
PTA会が開かれ、たぶんうちの親はそれに参加しなかったと思うのだが、雨子先生には引率してほしくない、一緒に海外には行かせられないという親たちの意見が最終的には通ったそうだ。結局、その日から雨子先生は学校に来なくなった。
戸惑いはあったが、なんといっても初めての海外、しかもホームステイしながら提携校に通うので、けっこう長めの滞在である。楽しみだという気持ちに多少水を差した出来事ではあったが、旅の間引きずったかというと、そうでもなかった。
とても楽しい旅だったし、初めての経験をたくさんした、貴重な数週間だった。シドニーで少し観光してから、提携校のあるメルボルンに行って、ステイファミリーの家から毎日学校に通った。
延々と草原を走る長距離のバスにも乗ったし、カヌーに乗ってキャンプもした。森の中で日本にはない植物の花粉にやられて、くしゃみばかりの日もあった。野生のカンガルーやコアラも見た。南の端っこにある島みたいなところにペンギンを見に行ったのが一番楽しかった。
そして、向こうの学校で過ごす最後の日は、フェアウェルパーティーが開かれる。みんなちょっといい服を着て、着物っぽいのを着てる子もいたな。練習してきた英語の歌、確かスタンドバイミーだったと思うが、そういうのを披露したりして、向こうの子たちとの別れを惜しむのだ。
そのパーティーの前に、担任の先生が突然ひきつった表情でやってきて、みんなに話があるといった。驚かないようにと前置きした後、観客席の一番後ろに、雨子先生がいますが、いっさい無視してください。いないものとして扱ってください、決して話してはいけません、と。
雨子先生がここまで追いかけて来てしまったのだ。
いろんなことがわかるのが遅い私でも、さすがにこれはだいぶ怖い事態なのだとわかった。
雨子先生は、そのまま最後まで、ただそこに座っていた。
めちゃめちゃ気にはなったが、担任の言うことを無碍にするわけにもいかなかったので、あまりそちらを見ないようにはした。何か変なことをするでもなく、ただずっとそこに普通の表情で座っていたと思う。それが彼女を見た最後になった。
今でも、どうして雨子先生がその日にそこに来たのかはわからない。でも、何か常軌を逸しているのだということはわかった。
もともとオーストラリアに行く予定だったし、準備もして楽しみにしてたのに直前でけなくなっちゃったから、自分も仕事休んで行こうかな〜!せっかく来たんだし、ついでにみんなにも会いに行っちゃおう!教えた歌、みんな上手に披露できるかしら?
・・・というくらいの気持ちでメルボルンの学校までわざわざ来ちゃったのかもしれない。と、何度も思おうとした。高校生だったから。
でも、自分も高校生の親になるほどの年になった今、やっぱりあれはだいぶ変わった出来事だったとわかる。そして、それをしてしまった雨子先生のことを思うと、やはり緊急で話し合いを持った親たちの心配は正しかったのかもしれない。
何が彼女をそこまで追い詰めたのか。
日本に帰ってから、高3の先輩にお土産を渡しに行った。シドニー近郊で立ち寄るはずのドライブインの売店で、飴色の櫛を買ってきてと頼まれていたのだ。毎年同じところにしか行かないらしく、事前に先輩から聞いた通りの場所にその櫛はあった。
そんな旅の話の最後に、なぜかメルボルンの学校まで雨子先生が来たんですよ、と話したら、すごく驚いていた。先輩の話では、私たちが旅立ったあと雨子先生は、一度授業をしに学校に来たらしい。
あきらかに参っている先生に、事情をすべて知った上で、高3クラスの人たちは聞いたのだそうだ。あれー?なんで日本にいるのかなー?高2とオーストラリアに行ったんじゃなかったー?色々準備してたんじゃないのー?なんでいるのー?と。その後、二度と授業にこなかったそうだ。
3年間変わらないはずの担任は、責任をとったのか、思うことが何かあったのか、その年の3月で退職した。やめて仏門に入るというのでまた驚いたのだが、その年の夏、クラスの野球部の子たちが甲子園で決勝まで行った時には、応援しに来たので再会があった。袈裟姿だったが元気そうだった。野球部は優勝した。
雨子先生は、その後病院に入ったという話を聞いた。どうなったのかはわからない。
雨子先生のことを思い出すと、いたたまれない気持ちになる。
☆2023/11/07
ものすごい暴風で、しかも暑苦しい朝だ。
昨夜は、闇の深い話をしてしまった。この件に関しての顛末を、これまで誰かにここまできちんと話したことはないし、同窓会に行かないので、記憶を共有する同級生と話し合ったこともない。この件を知る人と記憶のすり合わせをしたことがないので、正確さに自信がない。
改めて読み返してみて思ったのだが、関わった人全員に違う感想がありそうだ。自分の知らないところでいろんなことが起こっていたはずなのだ。
たとえば、授業中に立たされて叱責された子や、その周りを取り巻いていた子たちは、もしかしたら私が認識しているよりもっと、陰湿なところがあったのかもしれない。クラスのよくない雰囲気を作っている子たちがいるというのは、雨子先生が勝手に思い込んだ被害妄想だったのだろうか。それとも、私が空気を読めなかっただけで、実際にあったのか。
(そういえば私の母は、仕事があるのであまりPTA会には参加せず、たまに行事や授業参観などの集まりに来る程度だったのだが、やはりその子のことをあまりいい子だと思っていないようだった。結構早い段階、高1の時点でそう言っていたと思う。長年教職に就いていると、クラスのパワーバランスを左右するタイプの子がある程度わかるのかもしれない)
陰気だけど穏やかな感じに見えていた雨子先生だが、きっと転勤してきた時点で、けっこう緊張していたはずだ。まだ若かったはずの彼女は、前の学校での失敗から学び、今度は繰り返すまいと頑張っていただろう。たった一人で新天地にやってきて、この状況になる前に相談に乗ってくれるような人は周りにいなかったのだろうか。どこでおかしくなり始めたのだろう。
また、親たちはどうだったのだろう。令和の今はどうだか知らないが、何ヶ月も前からこうと決まっていることを一週間前に覆すというのは、よほどのことだ。緊急の動議だったとは思うが、実際に学校への訴えに至るまでには、陰で相当の根回しがあったに違いないし、事実の精査をするために子どもからの聞き取りもあったのではないか。
雨子先生は、それに反論や抵抗をしなかったのか。
それから、我々生徒はメルボルンの学校でパーティーの直前に雨子先生が来ていることを知らされたのだが、引率の先生たちはどうだったんだろう。いつどんな形で彼女が追いかけてきたことを知ったのか、なぜ来たのかを問いただしたりする話しあいの局面もあったかもしれないし、観客席に入らず、生徒にも見られずに帰そうとする説得なども当然あっただろう。それとも、最初から戦慄し、徹底的に無視したのだろうか。そして私たち生徒にもそうするよう求めたのか。実際どうだったのだろう。
「メンタルを病んで修学旅行の引率を直前で外された教員が、短期留学先の高校のパーティーに出ようと突然押しかけてきた」と、こういう状況だけを振り返った場合、会場でもっとまずい何かが起こる可能性だって十分考えられた。すごく極端な行動に出たかもしれない。
予定外のトラブルが起き、しかも海外でだ。深刻な事件に発展する可能性もあるなか、生徒たちを守るために、大人たちは短い時間に必死に対処を考えてくれたはずだ。うーん、今ならもっと学校そのもののセキュリティが厳しくなってるし、もしかして通報された可能性もあるなあ。いや、穏便に済ませるだろうか。どうだろう。
こうやってぼんやりと全体像を描き、細部を描き込み、解像度を上げていくことで、自分の中で何らかの答えに辿り着くことはあるのだろうか。きっとないだろう。すべて遠い遠い過去のことだ。それでも、あれは他人の狂気を目の当たりにした、初めての経験だった。普段は心の奥底に沈んでいるけれど、一生忘れることはないと思う。
今はメンタルの不調で長期の休みに入るような先生はたくさんいるし、また不登校を選ぶ子だっていっぱいいるが、当時は今より全然少なかった。それでも、大勢で一人の人間を傷つけたり、病んだ人に石を投げてぶつけるようなことは、今も普通にある。やばいと思ったら、何か一つのことに固執せずに、すぐ一目散に逃げよう。大人も子どもも。息子にはそう教えようと決め、これをもって今回の落としどころとしたい。
この話にはこれで蓋をしよう。読者の皆様方には、暗い話に付き合わせてしまって申し訳なかった。10人くらいしか見ていないことを祈りつつ、爆弾低気圧とバターソテーの匂いのせいにして終わりとします。
さて夕暮れ時。だいぶ涼しくなった。明日からは普通の気温に戻るみたいなので、ほっとしている。窓から入ってくる風も涼しい。
お嬢様のがま口ができたので披露を。ブルーグレーとテラコッタオレンジのベッツィ。
ベッツィって本当に可愛いですわね。
みなとみらいは、どうやら今日からクリスマスらしい。ハリーポッターのツリーができていて、前田のあっちゃんが来ていた。顔も何もかもが小さくて可憐であった。細く美しい脚に結構な高さのピンヒールを履いていてかっこよかった。
☆2023/11/08
値上げ後、怖くて見ないようにしていた問屋のオンラインショップを、意を決して覗いて見たらば・・・ほしい口金がどれもこれも在庫切れ。どうしたもんかと考えこむ。
一回店に行ってみて、在庫を実際に見た方がいいのか。それともオンラインショップを見張って、在庫が戻るのを待つか!納期によるんだよなあ・・・・。
きのう夕飯の後、旦那さんと朝録画した吉宗評判記を一緒に見たら、まさかのひばりお嬢再登場の回であった!「柳生一族を斬る女」。剣術の師匠の仇を討つため、柳生に道場破りに入り、ザコどもをバッタバッタとなぎ倒すひばりお嬢。ラスボスはもちろん上様が倒したのであった。もう登場しないのだろうか。貴重な回だった・・・。
そして今朝の回は、中村玉緒と石橋蓮司の登場回。どっちも見てすぐにわかる。朝ドラを見終わってすぐに吉宗公の方を追っかけ再生すれば、旦那さんの始業時間に間に合うのであった。われわれ夫婦の朝活は吉宗公。
やっと通常の気温に戻ったので、過ごしやすい。お洗濯も乾くし、ホットコーヒーは美味しいし。ずっとこれくらいの感じならいいのになあ!
さて、原材料(主に金属)の高騰に伴い、すみませんが順次がま口の値上げをさせていただきます。とは言っても50円アップとかなんで、なにとぞお許しください・・・。
このまま紛争や戦争が続くと、金属の値段は上がり続けるのだろう。もちろんそのためだけじゃないけど、早く平和が訪れてほしい。みんな困る。もちろん、当該地域の人々が一番辛く困っていることはわかっている。だからつらい。せめて、がま口だけでもお花畑でありたいのだ。
・・というわけで、新しいお品をお店に並べました。ベッツィまつり開催中です。
がま口の売れ行きをぼちぼちと見ていたら、ともちゃんからLINEが。いまスペインにいるのだ。ママンとヨーロッパ旅なの。やはり相棒が日本にいないとさみしいわね。
アラスカやグリーンランドの上を飛ぶのを、フライトレーダーでストーキングしていた(笑)シャルル・ド・ゴールでお乗り換えだったのね。
図書館本・彬子女王殿下の「赤と青のガウン」読了。ちょっとファンになっちゃった。注文しようかなと思ったら、今どこにもなくて手に入らない。電子派ではないので、紙の復刊があれば買おう。
彬子女王は学年で言うと、ともちゃんや私より2つお若いらしい。横山裕や村上信五と同じ学年にあたる(わかりやすい)。同世代の皇族だが、留学のあと立命館にお勤めということ以外は、どういう方なのかあまりよく知らなかった。この本を読んで、とても素敵な人なのだとわかった。おすすめの一冊ですよ。
読み終わって不思議に思ったのは・・皇族の人間関係についてあまり詳しくないのでなんとも言えないのだが、この本には父親(ヒゲの殿下)の話がよく出てくる一方で、母親(麻生太郎の妹なので顔がそっくり)のことはほとんど、もしかしたら一言も語られない。父の話題の時は必ず敬語表現で語られ、一方で側衛や侍女には親しみを感じているようなので、そこが一般家庭とは少し違って特殊なのかもなと思った。
しかし、留学先では一個人として過ごし、他の学生と同じように着ているものも持ち物も普通だし、特に贅沢をするでもなく、苦労しながらも淡々と自らの環境を整え、こつこつとインプットとアウトプットを繰り返し、論文提出という最終ゴールを目指すのだ。
どこにでもいる留学生のように、スーパーで食品の値段に一喜一憂したり、バスを逃して寒い雨の中つま先を濡らし長い距離を歩いたり、提出期限が迫るなか胃痛を起こしたり、たまには環境を変えてみてうまくいったり、妥協点を見つけて環境にフィットしていったりする。奮闘努力の人なのだとわかった。
自分にはとてもできない、と賞賛のため息をついてしまう。
それでも、きっと皇族であるからこそのメリットというのは、多少あったんだろう。それは主に、筆者も作中で語る通り、周りの人に恵まれたということだと思う。
でもそれは、研鑽の努力をしない人にとっては全く活かせないタイプの幸運であって、たとえば一流の先生に教えてもらえることになったとしても、本人が頑張らねば何にもならない。だから、どうせ皇族だから最初から恵まれてたんでしょうとか、良い家に生まれて裕福なんだから他の人より楽に辿り着いたんだろう、と思い込んで評価するのは、たいへんな的外れだ。
うまく言えなくてもどかしいのだが、たとえ皇族に生まれたとしても、そのことを最大限に有効に活かす才覚がないと、こうはいかなかったのではないかと思う。すばらしい活かし方だし、こういうプリンセスが我が国にいるなんて、本当に誇らしく、喜ばしいことだ。
皇族の女の人を、控えめに笑ってお手振りをしている人々・・という印象で一括りにしてしまいがちだと先日も書いたと思うのだが、当たり前だが一人一人やりたいことも、通したい生き方も、違って当たり前なのだ。迷いながらも静かに自立し、試行錯誤の努力に裏打ちされた誇りを手に入れていく感じが、とてもかっこいい。そこに痺れた、憧れた。
と、私の感想はそんな感じだったけども、単純に留学記としての面白さに溢れているので、興味が湧いたら一度は読んでみてほしい。一つ一つのエピソードはネタバレになるから内緒。
☆2023/11/09
今朝は寒いのでなかなか息子氏は起きてこず、大変手こずった。
昨日は夕方から塾の面談があった。息子氏の塾はあまり大きくない個別指導塾で、中学の時から行っているのだが、塾頭の先生がいい方で息子氏のこともよくわかってくれているので、そのままお世話になっている。
面談は年に2回くらいあるので、その際にはいいお菓子を手土産に持っていくことにしている。そごうに買いに行ったら、クリスマスパッケージのお菓子がもうたくさん出ていて、うきうきとする。食品売り場とはかくも楽しいものだったか。ヨックモックのノエル缶を買って満足した。
息子氏の成績は物理と化学と数1以外の全てがけっこう壊滅的で、それでもクラスでは真ん中よりは上くらいなのだから、(このクラスは一体どうなんだ・・)と、成績表を見た先生たちが内心眉をひそめているのがわかった。うちはコース内で一番ひどいクラスなんですよ!とニコニコして語る息子氏。
特に勉強したいことも、興味があることも現時点ではないというので、どうしても進学先は消去法にならざるを得ない。つまり、もはや理系しかない。根っからの文系の私からすると信じられないのだが、得意なこと以外が壊滅的というところは・・・まさに自分の子である。
「理系の学校少ないけど、地方に行くのもありかな?自宅から通える範囲の学校で理系だと、もっと英語頑張らないと厳しいよ」と言われた息子氏。「ぼくは家が快適で楽しすぎるので家から出たくありません、遠いところはちょっと」と言い出した。思わず大きなため息が出てしまう。このままでは、子ども部屋おじさんまっしぐらではないか。
英語を頑張れという話だったのに、帰りには「科学がもうちょっと頑張ればクラス1位になれそうなので、科学だけは頑張りますね!」と言っていた。いや英語を・・もっと・・もっとさ。
お昼にパーマの予約を入れていたので美容院へ。頭を触られたり温められたりすると眠くなるものだとは思うが、うっかり居眠りして自分の寝息(いびきまではいかない)で目が覚めた。パーマは白髪染めよりだいぶ長丁場だ。
夕方、旦那さんと横浜へ。アニエスの細ボーダーシャツの新しいのを買わせ(前のはくたびれ切ったので去年捨てたのだった)、息子氏の通学用制定バッグ(小)を買う。入学時にはリュックを買ったのだが、土曜などの荷物が少ない日にリュックを背負っていくのが嫌なんだそうで。結局買うこととなった。
ニュウマンにもルミネにも行ったが、買い物はせず。くりこ庵のたい焼きを買った。今日は妙にたい焼きを食べたかったのだ。エアロスミスのせいじゃないかと思う。一昨日はしるこサンドを食べたくなったのだが、昨日は煮付けを食べたくはならなかった(ちいかわを追ってない人にはなんのことだかわからない)。
ともちゃんが旅立つ前に、何か日本で知らせるべきニュースがあったら連絡するねと約束した。海外なので、基本Wi-Fiがあるホテル等にいる時しか返事は来ないはずなのだが、いちおう最低限のことはLINEにて知らせている。
これまでにお知らせしたのは
・生田斗真が独立、もう見ることが叶わぬであろう関ジャニエイ斗を惜しむ声で界隈溢れる
・X JAPANの人が亡くなったらしい
・草彅剛は朝ドラの雰囲気と合ってて元気でる
・大倉くんのバスドラからクチビルくんが消える、歯列矯正中との噂
・ユニクロ×アニヤハインドマーチが大変可愛い、オレンジのおめめ付き手袋が欲しい
・ニノの会社名は「オフィスにの」
・ベストヒット歌謡祭、関ジャニの披露曲はアンスロポス
・木曜ヒルナンデス放送中、ヨコの状態良し(写真付き)
・・・とまあ、そんなことくらいです。そう大ニュースでもないが、楽しいヨーロッパ旅中の人に岸田総理の年内の衆議院解散・総選挙を見送る意向を伝えてもしょうがないやろう。我々の中ではまあまあの大ニュースばかりである。
どうやらともちゃんは今、バルセロナ国際空港の免税店で買い物をしているらしい。
旅の前にニューグランドのザ・カフェに行ったとき、ともちゃんがどこを旅してるのか知りたいと言ったら、高校生たちが使ってるような友達と位置情報を共有できるアプリを教えてくれたので、その場で入れてみた。
海外でも使えるかどうか謎だったが、どうやら使えるっぽい。バルセロナの旅を終えて、どこかに移動するんだな。楽しみだ。
例えば旬の果物を注文したら、毎年その時期になると果樹園からダイレクトメールが届く。誰かが亡くなって、前の年まではお中元やお歳暮や誕生日の贈り物だったものが、今年からはお供物になるのは、本当に寂しいことだ。
生前好きだったものだからお供物として送ってもいいんだろうけど、もう食べてもらえないとわかっているから、たまらなく寂しい。だからお線香を送ったのだが、もうお線香の煙くらいしか先方には届かないのかと思うと、またもっと寂しくなってくる。さみしいね。
☆2023/11/10
肌寒い朝。
「ラッパと娘」があまりに盛り上がったので、もうここで終わりならいいのになあ・・と思って朝から涙ぽろりとしてしまった。幸せの絶頂にはつねに翳りがつきまとう、それが朝ドラなのである。。
今終わればお母さんの病気は風邪以上には悪くならず、六郎も徴兵されない。大阪には懐かしい銭湯の実家と温かい家族が待っている。それじゃだめかなあ。だめなんでしょうなあ。
あさイチに松潤が登場したので、今日は吉宗公でなく家康公を見ている。大変な1年半だったよね、きっと。山田裕貴のラジオにもっとゆっくり来てくれる日を楽しみにしている・・・!
さて、パーマをかけた後、24時間はシャンプーしたりブラシで伸ばしたりできない。いつもはその約束事を忠実に守り、ボッサボサのまま家にこもって翌日を過ごすこともあるのだが・・。今日は出かけるつもりだったので、どの程度までなら何をしてもいいのか、昨日美容師さんに聞いたのだ。お湯で流すくらいならやっていいとのことだったので、シャワーを頭から浴びるだけにした。パーマは無事だった。
お出かけ先は、立川である。
その年のクリスマスに使うお皿を、ちはやちゃんのお店で探すのが毎年の楽しみなのだ。今年はともちゃんがこの時期日本にいないし、私も週末ちょっと予定があるので、どうしようかなあと思ったのだが。金〜日の3日間開催なら金曜に行けないことはない・・と考え、やはり足を運ぶことにした。ちはやちゃんにも会いたかったし!
横浜から立川は微妙に遠い。一人なので電車で行くことも考えたのだが、雨降りそうだしやっぱ車にしちゃおうと思って、ソロでのロングドライブとなった。いつでもそうだが、稲城あたりで(これ本当に辿り着けるのかな・・)と不安になってくる遠さだ。でもひたすら前に進み、信号で止まり、時々曲がる、を繰り返していればそのうち着く。毎回そうだ。
ともちゃんと二人でも不安になってくるのに、一人だとなお心細い道のりではあった。
途中、立川にできたららぽーとのCITENに寄り道し、息子氏のスウェットを買って、フードコートでご飯を食べてから行った。こぢんまりとした、いいららぽーとだった。この辺はゆったりしていて、平日で子連れもたくさんいて、心なしか横浜のららぽーとより活気があった。
みんなのんびりと楽しそうだった。やはり多摩地域はいい。
ちはやちゃんのお店には魅惑のお皿がたくさんだったのだが、どうにかこうにか気持ちを絞って、クリスマスに使いたいお皿を入手した。今年もハイツの民たちは来てくれるだろうか。
帰りは、中央道で調布まで戻り、そこからひたすら多摩川沿いを川崎方面へ。第三京浜で横浜まで戻ってきたのだが、行きよりだいぶ近い感じがした。なぜ往路にもこの道を提示してくれなかったのだろう。頼むよグーグルマップ先生。
イベントは日曜までやっています、ぜひ足をお運びください。行ったら le petit bourgeon をお探しください、ちはやちゃんが買い付けてきたすてきなお皿がたくさんありますよう!
ともちゃんは、どうやらモンサンミッシェルにいるようだ。美味しそうな朝ごはんの写真が送られてきた。リンゴジュースが美味しいんだって!すてきね。
☆2023/11/11
紅葉を見に軽井沢へ。
ともちゃんが旅に出るというので、いいなあ自分もどこか遠くへ行きたいなあ・・と羨望の思いに駆られ、じゃあいない間わたしもどっか行こうと思い立ったわけです。コロナやら受験やらで家族旅じたいが結構久々。泊まりがけで軽井沢に来るのは、結婚式以来ですよ。ずっと日帰りだった。
去年ご両親と行ってすごくよかったという、ともちゃんおすすめの宿に泊まっている。ご飯も美味しいしお部屋も綺麗だし、お風呂が新しくて最高だったというので、ほんまかいなと思ってやってきたのだが、ここまでのところ本当に全部満足。さすがともこご推薦の宿である。まだお風呂には入ってないのでどうだかわからないが。
あまりにお腹がいっぱいでお風呂入れないよ。たぶん終了ギリギリに行く感じになるだろうなあ。
今日はここまで来るまでの間に、高速道路にいろんなものが落ちているのを見た。でかい毛布やら、小動物をつついてるカラスやら、トラックのタイヤのところについてるべらべらのやつもあったな。でもその中で一番インパクトがあったのは、車のミラーである。普通取れたら気づくやろと思ったが、たとえ気づいたとしても、そう易々と取りには戻れないよなあ。
ユニオンジャックの模様だったので、きっとカスタムだろう。気の毒に。
お風呂は綺麗で良かった。朝も入りに行こうっと。
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