どうやら、昨日まで魔女が滞在していました。
☆2024/11/01
きのうは元町界隈がハロウィンで大変な賑わいだった。
ので、いつもなら整骨院に行くのに山を降りたらそのまま商店街の方にパン屋やら八百屋やらを見に行くのだけど、すごすごとまた山へと帰った。イタリア山庭園に寄ったら、ブラフ18番館でハロウィンのしつらえ展みたいなことをやってて、最終日っぽいので入ってみたの。意外と楽しかった。2階の客間に魔女の荷物が置いてあったのがよかった。
魔女旅に出る、という曲を思い出すなあ。ラララ、ラララ、ララ、泣かないで〜♫
今日は、朝から生地を切ったり縫製したり、ひたすら仕事をして過ごした。腰が痛くなった。そんで夕方、スワニー山下公園店が来年の3月で終了との報を見る。
ああやっぱりなあと思うと同時に、小規模だった元町の小さい店のことを思い出す。あれくらいの大きさでいいから残してくれればいいのに。鎌倉まで接着芯買いに行くのもなあ・・・。まあ、鎌倉好きだから、出不精なりに来年からは時々通うか。
しかし、生き残って欲しかった・・!!(涙目)
あのユザワヤですら規模をどんどん縮小していってるんだから、しょうがないよね。ベイクォーターのユザワヤ、半分の大きさになっちゃったよ。とほほほ。
ところで、色々あってhuluに加入してみた。
エレメンタリー ホームズ&ワトソン in NYが入っているではないか!と思って見始めた。シーズン2くらいまではみたことがあるはずなのだが、すっかり内容を忘れている(歳をとって忘れっぽくなるのは悪いことばかりではない、同じものを何回でも新鮮に楽しめる)。
確か以前見た時も思ったが、この作品のルーシー・リューは衣装がさりげなく可愛かった気がする。エレメンタリーは、ワトソン君もモリアーティも女性なのであった。
☆2024/11/02
朝から雨の降る中、家庭ゴミを出しに行く。まだそんなに雨は降っていない。これから本降りになってくるのかしら。
今日は小雨で窓の外が白く煙っていて、あたり全体が白に近い明るいグレーみたいな色に見える。ブラインドを引き上げていても、部屋の中が薄暗い。これくらいの薄暗さが好きだなと思う。部屋の中の灯りはほとんど全部黄色っぽいので、暖かくていいと思うが、今の時間はそうでなくてもいい。陽光ぎらぎらと照りつける季節が終わり、やっと訪れた静かな季節だから満喫したい。
ところで、フランダースの犬のYouTube配信が始まっている。有名なOP映像だけど、こんな出落ち(しょっぱなから結末を提示した)感あったっけ・・・?オープニングの歌詞と映像で、一年間つづく物語の結末までの全てを物語っている。
有名な作品なんだけど、一回もちゃんと見たことがない。生まれる前の作品だからしょうがない気もするが、どんな内容なのかはもちろん知っている。小学館から出ていた少年少女世界の名作文学全50巻の中に入っていたからな。
読んだ当時小学生だったから、みんなネロが死んでしまった後、取り返しがつかないと思って嘆き悲しみ、ずっとその後悔を背負って生きていったろうと思ったが。大人になった今、きっとアロア以外はみんなすぐ忘れたろうなと思っている。翌週には普通にうまいもん食ってるよ、アロアの家族以外は。アロアがうまいもん食えないうちは両親も辛いだろうけど。
そして、何度もアニメ見る機会があったのに見てないのは、この結末に至るまでに周りの大人がネロを追い込んでいくのを知ってるからで、何十話もかけてそれを追うのは辛すぎるからだと思った。私が思ってるよりだいぶ明るい内容らしいので、この機会にみてもいい・・・。
子供のころ読んだその、原作の中で自分がすごく印象に残っている箇所があって、それはルーベンスの絵にまつわる部分なの。どうしても大聖堂の聖画を見たいネロは、時々そばまで行っては落ち込んで帰ってくるんだよね。
布が掛けてあってお金を払わないと見せてもらえないんだけど、食べ物にも困る毎日を送ってるわけで、そのお金がないの。そんでパトラッシュ相手に、きっとこれを描いた人は貧乏人には見せたくないなんて思ってない、みんなに平等にいつ見せてもいいと思ってるはず、でも金持ちしか見られないんだと嘆くの。
ひと目でいいから見たい、見られるなら死んでもいい、というくだりを見て、よっぽど見たいんだなあと少女ゆきちゃんは思った(それが芸術への希求というものであるということはもう少し大きくなってから知った)。
パトラッシュは、そんな風に聖堂に行っては落ち込んで戻るネロのことがすごく心配なのだ。原作では、パトラッシュの主観がけっこう入っていたような気がする。もちろん犬なんだけど、犬なりのネロへの気持ちがちゃんと描かれてたと思う。アニメより先に読んだ人はみんなそうだろうと思うんだけど、飼い主と犬との、相思相愛の様子が強く幼心に残っているの。
のちにその場所でネロとパトラッシュは最期を迎えるのだが、その今際のきわに月の光が強く照らし出し、ルーベンスの絵がはっきりと見えるんだよね。ネロは涙を流しながら、僕はとうとう見たんだ、神様、もう思い残すことはありません、みたいなことを言ったと思う。そしてパトラッシュと抱き合って、誰もぼくらを引き離さない、ずっと一緒だよと言って亡くなるんだよ。そんな感じだった。
何はともあれ、そんな見たかった絵が見られてよかったね、というのがめっちゃ心に残ったのよね。そのせいでちょっとした多幸感が残るのよね、最後自体は本当に本当に悲しい結末なんだけども。あのアニメで有名な、聖堂の絵から天使が抜け出てきてネロとパトラッシュの幽体を天へと招く場面を見なくても、幸せだったのかもしれないとうっかり思ってしまう。熱く希求した芸術に触れ、相思相愛の相手と抱き合って迎える最期だから。
でもさ、大人になったから思うんだけど、そもそも大金を払わないと見られないのもおかしいし、まあそれは教会の運営費として必要なのかもしれないが、それならば困窮者や弱者である子どもに対して、もっと手厚くできなかったのだろうか。神ってなんなの一体。子どもがあんなに労働しなきゃいけないのおかしいし、それで得られる賃金で生きていけないのおかしいし、大人にいいように扱われて村八分にされるのだっておかしい。犬にだってもっと優しくして欲しい。
変なことだらけだが、きっと今だってそういうことは世の中にいっぱいある。子どもや犬が、ゆるやかに追い詰められるような世の中であってはいけない。
ほんとうの幸いは一体なんだろう。
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