憧れのアニヤカフェにて。Googleマップってすげえな。
☆2025/03/09
ぶじ日本の我が家のこたつに戻ってきております。夕方帰って、スーツケースを空にし、洗濯したり、ポーチやら何やらから取り出して元の場所に戻したり、猫を愛でたり、旦那さんに向こうで買ってきたものを見せたりして、夕飯に鍋を作って今に至る。
十何時間も狭いお席に拘束されてたもんだから、帰宅して自由に動けるのをいいことに、堰を切ったように動きまくってしまった。あんなでかいスーツケース二つもどこにしまうかが課題だったけども、あまり使ってないロフトにとりあえず入れておいた。
帰りの飛行機では、ビリー・ジョエルのマディソンスクエアガーデン100回記念公演がプログラムに入っていたので、それを見た。途中で一回寝落ちしちゃったんで、目を覚ましてからもう一回見た。
学生時代に海外に行った時も、移動のバスや帰りの飛行機でビリー・ジョエルを聞いていた気がする。そうだ、ビリー・ジョエルとブライアン・アダムスとミスタービッグを交互に聞いていたんだった。たしかMDを、その3枚だけ持って行ってたと思う。
行きの飛行機では気づかなかったのか、帰りの便にしか入ってないプログラムだったのか。だいぶおじいちゃんになっていたけど、ビリーがピアノを弾いて歌うと、箱いっぱいの観客が嬉しそうにニコニコと揺れて一緒に歌っていて、本当に素晴らしいなと思った。私も一緒に揺れたかったけど、真っ暗な機内で周りの安眠を妨げると良くないので我慢した。
何かのご褒美のようだった。頑張ったことを誰かがちゃんと見てくれていて、プレゼントにこっそり入れといてくれたのかなと思うくらい嬉しかった。ありがとう、JALの神様。
空港に着いて荷物をターンテーブルから引き上げ、色々お世話になった添乗員さんによくお礼を言い、出口から出たら、旦那さんが待っていた。あろうことか息子は、黙ってガバッとパパにハグをしていた。もう私より大きいのに!来週17歳になるのに!!妻の私より先に!!
そして、何より早くセブンイレブンに行き、世界一うまいと痛感したおにぎりを買い、バス乗り場の待合室でものも言わずむしゃむしゃと食べていた。よかったね。。
☆2025/03/10
時差のせいかなかなか寝付けず、起きたら10時だったのでびっくりした。えらいことだ。急いで朝の薬を飲み、久々に野菜がゆを作って食べる。美味しかった。茅乃舎だしの味がだいぶ恋しかったのだ。普段野菜がゆみたいなものを朝から食べてる人間が、1週間もクロワッサンやらベーコンやらの朝食を食べていたら、当然胃の調子が優れなくなる。
家にある柑橘類を全部剥いて冷蔵庫にしまい、洗濯機を何回もまわし、待ちの間におみやげ類の仕分けをする。トートバッグ屋が開けるほど各地で買ったな、と我ながら驚く。この子にはこれ、あの子にはこっち、と袋に分けて片付けていった。
午後、C&S自由が丘の周年記念が今日までだったので駆け足で行ってみたのだが、もう記念トートバッグは売り切れていた・・ぐぐぐ。しょうがない。
これだけよその国でトートバッグを買いまくったのに、帰国してまだ買おうとするのおかしいよな・・と冷静になり、諦めてラミネート生地だけ買って帰った。
夕方、整骨院へ。向こうで腰痛がひどくなったらどうしようかと思っていたが、何とか大丈夫だったので良かった。とはいえ疲れてないわけではないので、しばらくはあまり無理せずに過ごそうと思う。。
そういえば、小さめの首イボがいくつかなくなったことに気づいた。もしかしてイギリスかフランスに置いてきたのか・・!?
☆2025/03/11
なぜか家族全員で皮膚科へ行った。息子は息子の、旦那さんには旦那さんの診てもらいたいポイントがあったので全員でぞろぞろと行った。私はもちろん液体窒素。
中華街でお昼を食べ、旦那さんがアウトレットに用事があるというので、時差ボケの息子氏だけ家に置いてベイサイドへ。きょう一日でいろんな店に入ったが、どこに行っても日本語が通じるんだぜ!すばらしいな!(笑)
今日は震災の日なので、ニュースを見ながら黙祷に参加する。津波で家を流されて建て直した人が、今回大船渡で火事にあってまた家を失くされたというニュースに愕然とする。ささやかながら楽天クラッチ募金から寄付をさせていただいた。
ベイサイドでは、ゆとりの空間でちょっと欲しかったフライパンに乗せる蒸し器を買った。アウトレット品ではないので、特に安くはなかったけど。
夕方、ともちゃんとコストコに行く。色々と旅の話などする。お土産とホワイトデーの品を渡したら喜んでくれた。二週分なので買い物はたくさんだった。米が高くて二人とも涙をちょちょぎらせながら買う。
帰宅して、冷凍の塩鮭を焼き、昨日のすき焼きで余った牛肉で肉じゃがを作り、白だしと生姜の千切りできゅうりを浅漬けにする。和食最高。しかし、食べながら何か違和感を抱き、そこで初めて自分がもうジャガイモに飽き飽きしているということに気づいた。だってイギリスでもフランスでも、毎食出てくるんだもん、ジャガイモが。潰したりマッシュしたり揚げたりとあらゆる方法でテーブルに乗せてくる。
なぜ肉じゃがにしてしまったのか・・・やめとけば良かった。まあ食べるけど。
そうそう、昨日すき焼きだったの書いてなかったな。息子、よせばいいのにシャルル・ド・ゴール空港で搭乗待ちの間に、すき焼きを作る料理動画をまじまじと見て、そのあと私にも見せ、「帰ったらすき焼き・・すき焼き食べたい・・」と呪文のように小声でささやいてきたので、もはや作らざるを得なかったのだ。
整骨院の前に、大急ぎで焼き豆腐やら白滝やら牛切り落とし肉やらを買ってきたのだった。すき焼き用じゃなくて切り落としってとこが微妙でしょ(笑)だからまあ、肉じゃがにはぴったりであった。
そういえば、ともちゃんとコストコで旅の話などして、あのやばいおばさんの話になった。実際、帰国して友達にこんなこともあったあんなこともあったという話になると、ここに書いた数倍やばい人だったなと実感した。というか、夫婦してやばい人だった。ともちゃんが呆れて爆笑するほどであった。
おそらく60代のご夫婦で、夫は糸井重里の輪郭に佐藤B作の顔をはめた感じ、妻は江口のりこを20ほど老けさせて機嫌悪くした感じの見た目であった。S玉県からのご参加で、悪い人たちではないのだろうが、とにかく価値観が令和の現代のそれではなかった・・。まだこういう人っているんだなあ、と笑い話にできたので良かった。
あれは確かモン・サン・ミシェルについた日の夕飯時だったと思うのだが。
ツアーの中に、M張から参加したまだ20代の新婚さんがいたのだが、C葉Jッツ(本当に伏字の意味がねえな)のファンだという彼らに、おじさんの方が「うちの会社、あ俺役員なんだけど、スポンサーだからこれこれのここに社名入ってるから、今度試合行ったら見てみて。社でチケットもらえるから部下が争奪戦してるよ」などと、赤ワインのグラスをこう・・揺らしながら言ってたの。
と、ともちゃんに説明したら「うわキモッ」と一蹴していた。
若いM張夫婦に結婚式はどうだったのかと聞き、「まだなんです〜」と答えたらば、おばさんの方が「えっ式もまだなのに先に海外旅行??式いつやるの」と物言いをつけ、微妙な笑顔で「まだ予定もないんですよ」と困っているご夫婦。「やんなきゃダメだよ〜」「あ〜親戚とかからも言われます〜〜」「そりゃそうだよ普通〜〜」
いや、今やらない人いっぱいいるって。と内心辟易した。
そんでおばさん「子供の方は?早く産まなきゃダメよ」おじさん「俺ら23で結婚してすぐ子供できて3人もう成人させたんだよね」おばさん「親戚の子41で産んだけどすごいしんどそう、やっぱり若いうちにさっさと産んだ方がいいわよね」などと怒涛の産めハラスメントが始まる。M張夫婦の奥さん、眉をハの字にして「やっぱりそうですかね・・予定全然ないですけど・・」と言っていた。
小声で「やべえな、こんな漫画みたいな人いるんだ、本当にいま令和かな」と言ったら、隣のギャルがニヤッと笑っていた(看護学生なのだという。嬢たちを思い出した)。
翌日、パリの夕飯でM張夫婦の向かいの席になった時、たまたま息子がお手洗いに並んで席を外していたタイミングだった。出産や子育ての話になった。
私があの子を産んだのはあなた方くらいの歳だったと思うけど、もっと遅くても全然良かったし、当時でももっと年上のご両親たちがPTAにたくさんいたし、今はもっと遅めの人もたくさんいるから、楽しいこと二人だけで全部やったらいい、その後考えたらいい、焦らなくていいからと言ったら、二人とも嬉しそうだった。
実は入籍もまだ少し先の予定なんだという。子供ができる前に、二人で行ってみたい国がまだ他にもあるらしい。いいじゃないか。
若いのに海外に行けるほどの大金をよく貯めたし、そんな大金を頑張って作ったんだから、誰に何を言われようと使い道は自分たちで決めて好きにしたらいい。式にこだわらずにそのお金で行きたい国に二人で行ったっていい。ドレス着たかったら綺麗にして写真だけ撮ってもいいし、友人にもそういう風にした人いるけど、とっても幸せそうに今も夫婦やってるよ。
私は今、少し子育てに行き詰まって、息子の自分探しのために一緒に海外来たりして、大変な時期だけども、信頼できる夫と協力して、自分達だけの良心に従って、この難局を一緒に乗り切ろうとしている。こんなふうに苦しい問題に直面した時、夫婦二人だけの頃に楽しいことをたくさん共有した日々が、きっと糧になると私は思ってる。だから今楽しいことをたくさん二人でして、いい家族を作って。普通こうするものとかそんなのはもういい、自分たちが幸せならそれが間違いなく、あなたがたの普通。
そう言ってるうちに息子が帰ってきたので、ニコッと目配せしてその話は終わったのだった。そうします、と奥さんがにっこり笑って頷いていた。よかった。幸せにな。
フランスまで来てゆきちゃん節を唸ったのであった、という話をともちゃんにしたのだった。いろんな種類のおばさんがいるが、おばさんにだって人それぞれの考え方があって、私みたいなのもいると若い夫婦に知って欲しかった。
広い世の中、世代によって本当にいろんな価値観の人がいる。ともちゃんいわく「思うのは自由だけどさ、思ったこと全部本人たちに言っちゃうのマジでやばいよね・・・言わないよ普通・・」とのことであった。ほんまやで。それがともちゃんの「普通」なのであった。私も、そっちが普通だと思った。あはは。まあ私も思ったこと全部言ったけどね。
☆2025/03/12
朝から、白髪を染めてもらいに美容院へ。マツモトさんにモノプリの板チョコを渡す。
昨日までは割と元気で色々と活動的にしていたのだが、散髪の途中なんだか疲労を感じたので、家に帰ってからちょっと横になる。ああ、時差ボケ完全解消への道は遠い。
夕方、マイメロちゃんの生地を切って、JK嬢の卒業&入学祝いがま口を作る。久々の手作業で楽しい。だんだんエンジンがかかってきたのを感じる。明日からはまた工房長に戻ろう・・と言いたいが、実は楽しみな予定が入っている。えへへ。
相棒のある半年間が終わったのであった。来シーズンも必ずある、という確信をこんなに持てるシーズン終了も珍しいのではないか。でも、もしかしたら次が最後になるのかもしれない。だってめっちゃラスボス感あるやんあいつ。
すっかり日本の我が家での日常生活に戻り、日に日に、旅の記憶が遠くなっていくのを感じる。思い出して書き留めておけるエピソードについては、まとまりはなくとも、ちゃんと書いときたい。主に息子のことだ。
息子は、集団行動が苦手な子だった。おそらく昔からそうだったのだろうが、学校に行って友達と過ごす時間の楽しさの方が勝って、高1まではそんなに問題が表面化せずに来たのだろう。たとえば給食がすごく嫌だったり、決められた時間に合わせて行動できないと叱責されたり、皆が当たり前にできていることができなくて恥ずかしかったり、その場に出来上がっている雰囲気を壊すのが怖かったり、そういうことはずっとあったのだと思う。
今回、ツアーの途中でいっときしんどくなった息子が、このツアーの嫌なとこは学校行ってた時と似てる、学校の中で嫌だったことと一緒だ、と吐露した場面があった。興味があってもなくても決められた場所に絶対ついていかねばならず、足が痛くても立ち止まれば置いていかれる。さして美味しくもないものをあらかじめ決められた店で食べ、クソ不味いと思っても他の人たちの手前あまり顔に出さないようにするべき。自分でどうするか全く選べない。
その時、この方法でここまで連れてきてしまったことを本気で後悔しかけた。
ごめんね、やってみるまでわからなくて・・・と言ったら、違う、そうじゃない、これを決めてお願いしたのは俺で、ヨーロッパを見てみたかった気持ちは本物で、素晴らしいものをたくさんみたし、連れてきてくれて良かったとって本気で思ってる。でもしんどいから休める時は休みたい、自分がもうダメになりかけてて、今休まないと次に動けないのも予想できてるから、時々予定を飛ばしても許してほしい。一生懸命そう説明してくれた。
集団行動にとことん向いていないのだ。自分も幼い頃からそうだったから、息子の言うことがよくわかった。でも、大人になった今ならば、団体行動のメリットもわかる。状況がよくわからなくてもわかる人について行けば安心だったり、コストを抑えられたり、効率的だったり、孤独感や恐怖を紛らわせることができたり、色々だ。
たとえば全くの個人旅行だったら、こんなに多くの場所や出来事を息子に経験させることは難しかったろうと思う。保護者の私が英語や仏語をできなかったり、無知だったりするから。それを克服する努力を放棄した結果、集団のしんどさ面倒さを甘んじて受け入れているのだった。反省はした。
令和といえども、多様性と言われていても、まだまだ息子のように学校を長期間休んで何かを探すようなことに理解のある人は少ない。実際のところがよくわかった。
ツアーの前に誰かに突っこまれるような場面(学校は?なんで?行ってないの?休んでるの?等)を予想しなかったわけではないが、息子氏は悪い子でも、悪そうに見える子でもないし、休んで自分探し中ですと説明すれば、曖昧な笑顔で適切な距離を保ってくれる人がほとんどだと思っていた。
前述のS玉から来た熟年夫婦のような人がいて、積極的にちょこちょこ否定してくるとは思ってなかった。甘かった。
それ以外にも、「何年生なの?高2?じゃあ来年すっごく大変だよ〜受験。こんな遊んでていいの?」と息子氏に直接言ってきた女性がいた。世の中には立ち止まって同じ学年を2回3回やる人もいれば、大学に行かない人もいるとは思わないのだろうか。
わざわざ詳細に説明するのもなあと思い、息子と二人笑ってその場をやり過ごしたのだが、意外と令和でもそういう感じの決めつけを本人に向かってしてくる人というのは、普通にいるのだなあと思った。自分の世間知らずを恥じる。
M張夫婦や、看護学生のギャルや、1Dのファンの女子みたいに、若い世代の人の方が色々なことを心得てフワッと優しくしてくれた気がする。オプションで飲み物を頼むような時でも、流れに従って周りに合わせるようなことはせず、嫌いなものは残し、頼みたいものだけ頼んでいた。
今日マツモトさんともそんな話になったのだが、熟年の夫婦のような参加者層とは、お金の価値が全く違うのだ。このシビアな時代、若いのにそれぞれの思いを持ってお金を貯め、ここまで頑張って来たしっかりした子たちだから、みんなすごくちゃんとしていた。
世代差というか、考え方や価値観の違いをくっきりと感じた。いい経験だったと思う。
話は息子のことに戻るが、意外と頼もしいなこいつと思えるような場面も結構あった。特に旅の最後、パリの二日間はだいぶ息子を見直したのだった。Googleマップを見るのが私より上手だったり、ユーロへの換算が早かったり、そういう小さなことだが、頼りになって嬉しかった。
印象的だったのは、なんと言ってもパリのメトロでの出来事だ。前述した通り、走行中急に音を立てて止まって、電気が消えて真っ暗になったりした。私は暗いのも大きな音がするのも苦手なので、相当怖かった。そして、同じ車両にいたアコーディオン弾きが演奏しながら寄ってきて金をせびったりしてきた。彼は周りの全員にいちいちせびって回り、ついに息子のすぐ前にいた人から小銭をせしめているのを間近でみたので、ふるえた。
メトロを降りたあと、ああ怖かった、やばかったねあのアコーディオンの人、と息子に言ったら、俺はそんなに怖くなかったけど、という。いやでも、いろんな人にたかって回って、結局あんたの向かいの人からむしり取ってたじゃん・・。
そう言ったら、いやママ、それはちょっと違うと思うよ、と息子。「俺ちゃんとみてたけど、あの人たちはちゃんと何かを会話して、向かいの人もうんうんってちょっと頷いたりして、コミュニケーションをとった上で財布出して、納得してチップを渡したんだよ。強制したり奪ったりしてないよ、アコーディオンの人は。怖がることなんて何もなかったよ」
頬を叩かれたような気持ちになった。要するに私はあのアコーディオン弾きを、物乞いのように思って、おそらく心のどこかで蔑み、異質で怖いものと判断していたのだ。同じ人間だと思ってなかった。そして、そのことをしっかりと息子に見抜かれたのだ。けれど、言えばちゃんと私がわかってくれる親だと信頼したから、そのことを臆せず伝えてくれたのだ。
息子は、私が見ようとしなかったものを、ちゃんと見ていた。こんなふうに育ってくれたことを本当に嬉しく、ありがたく思ったのだった。
集団行動が苦手な息子だが、いろんな局面でのとっさの判断には問題がないということがわかった。意外としっかりした子だった。
最終日にモノプリでパパに頼まれた買い物をする際、すごくざっくりとしたメモだけが箇条書きで送られてきたので、息子も私もどれを買っていいのか分からずに最初すごく困った。「オリジナルエコバッグ(できれば無地)」「Palets de Bretagneのビスケット」「エシレのバター(保冷剤、保冷バッグが入手できないなら不要)」「塩(CAMARGUEとか)」「常温で持ち帰れそうなチーズ」みたいなリクエストだった。
まず息子氏は、これだけ膨大なチーズの中からパパがどのチーズを欲しいと思っているのかを聞くところから始めた。「コンテって言ってる」「わかった探そう」となど言い、チーズの冷蔵庫へ行ってコンテを探す。いっぱいあるコンテの中から、「味に差があるかもしれないからとりあえず2種類は買おう、一つ一つは小さめの方がいい」などと現実的なことを決め、カートに入れていく。
エシレバターは溶けるといけないからなるべく最後にしよう、と後回しにし、ちゃんと息子はそのことも覚えていた。
ビスケットは、旦那さんのいう「ビスケット」が棚の表示の「Biscuit」を指すのかどうかをまず確かめねばならない・・と思っていたのだが、種類が多いのはコンテで懲りていたので、もう画像を送ってもらおうと息子がパパにメールで頼んだのだった。送られてきた画像を、息子は店員さんを捕まえて、見せて棚まで連れて行ってもらったらしい。戻ってきた息子は、Palets de Bretagneの塊を2つ抱えていた。塩も同じ方法で見つけてきた。
最後に、オリジナルエコバッグだが、レジに並んでいる間に見つけたのだが、無地のものはカラーが色々あり、どれにするのか息子がメールで画像を送ってパパに希望を聞き、ちゃんとセルフレジの決済に間に合った。
唯一、持ち帰りのための保冷剤だけが最後まで見つからなかったのだが、結局それも息子が店員さん(日本のアニメが好きとわかる感じのTシャツを着ていたが、そこまで日本語を解するわけではなかった)にGoogle翻訳で何度も聞き、取り扱ってないということを確かめた。そして、よほど真夏で暑くない限り、保冷剤なしでもバターは溶けずに日本に持ち帰れるということを調べたのも息子だった。
自分一人では結構大変だったと思うが、息子がいたので、短時間で全てのリクエスト物を集めることができた。
集団行動が苦手でも、一人で判断できることの精度を今後頑張って上げていくことで問題なく生きていくという方法もあるのだ。この子は、そっちの生き方の方が性に合っているのかもしれない。ちょっと光というか、希望みたいなものが見えた瞬間だった。
☆2025/03/13
今日は旦那さんの誕生日。節目の年を迎えられた・・。赤いちゃんちゃんことか用意してないけど。何か欲しいものはないかだいぶしつこく聞いたのだけど、何もないらしい。本当はロンドンかパリで贈り物を探したかったのだが、そんな精神的余裕が全くなかった。
なんと、あの中島健人氏と同じ誕生日なのね。うお座の男はいい男。
午後、ともちゃんと都内へ。有楽町でお茶してから、2週間ぶりの(?)新橋演舞場へ。マルの浪人街2回目です。いや〜、チケット取れたの昨年末だったんだけど、まさか浪人街1回目と2回目の間に、イギリスとフランスを挟むことになるとは・・・。強行スケジュールに我ながらびっくりですが、申し込めるツアーがこの日程しかなかった!
正直、1回目は一回の最後列だったので良席とはいえなかったのだけど、今日のチケットは6列目の花道脇だったので、近い近い。マルのお膝にできてる小さいカサブタまで見えちゃった。
今回は幕間になんかいいものを食堂で食べようってことになってたので、入ってすぐ予約に並び、雪月花で松花堂弁当をいただきました。ちょっといいお値段だけど、入ってたもの全部美味しくて最高であった・・・。ヨーロッパ圏から帰ってくると何もかもが安く思えるが、こんな値段でこんな美味いものが食べられていいのかと改めて驚く。もはや他国では暮らせない。
1回目の時に、今回2回目で入る席がどのあたりなのかあらかじめ確認して、こりゃ石にかじり付いてでも絶対ぶじに日本に帰ってこなくては・・!と固く決意したほどの良席だったのでした。ああ、帰ってこれて本当によかった。今ひとたび浪人・源内さんにお会いできて本当にようござんした。日本の素晴らしさを噛みしめたのであった。
マルの舞台の時ってなぜか、自分がにとっての節目の時期だったり、何か精神的に追い込まれてるようなことが多い気がする。そういう巡り合わせなのかしら。そんで大体幕が降りる時、ちょっと半泣きになってる。確実に何かがチャージされたのであった。
ところで、とも家ではママに続き、弟さんのお嫁さん(ともちゃんにとっての義妹さんだな)がtimeleszのファンクラブに加入したのだそうだ。二人とも寺さん。なんとなく好みって似通ってくるものなのかもしれない。
あれは確かフランスに滞在中だったと思うのだが、旧ツイッターか何かで、新体制で音楽番組に出て歌を初披露したのを「8人なのにこんなに華がないなんてやばい」みたいに酷評されてるのを見たので、一体私の留守に何があったのだ・・!?!?と訝しく思い、帰ってすぐにともちゃんに聞いてみた。そしたら、だいぶぷんすこしながら「それは一部の悪意のある人だけで、我が家では毎日あの録画を一回は見てるよ」と憤慨していたのだった。
そんで、新橋演舞場から帰ってきて、配信が終わる前に一回ちゃんと見てみようと思い、TVerで見逃し配信を見たら、ちゃんと踊ってたし楽しそうだったし歌もうまかったし、以前からこういう感じで活動してたと言われても驚かないくらいちゃんとアイドルしていた。あんな酷評を受けるほどか・・?悪意があるのではないか・・・??
それにしてもとも家では、空前の寺さんフィーバーが訪れているようだ。ともちゃんが加入するのも時間の問題かもしれないぞ。うーむ、なんだかちょっと置いてかれるようでさみしいな。secondzになっても、eighterやめないでおくれね。
☆2025/03/14
ぜんぜん時差ボケが治らない。困ったもんだ。
来日・・じゃない、帰国したオオタニサンが「まずは時差ボケを治したい」と言ってるニュースを見て、私もそう思います!!と心の叫びを上げたのであった。オオタニサンと同じ志を抱く機会など滅多にない。
一昨日の夜、どうしても息子氏はスシローに行きたいと言っていたのに、7時前くらいに出かけようとしたら寝てしまっていて、結局行けなかった。昨日は私が浪人街で留守だった。そんで今日のお昼に声をかけたら行くというので、やっとスシローへ。
スシローは安くて美味しくて最高だが、唯一、ソフトドリンクのグラスがいつでも脂系の汚れでベタベタと曇っているのがいただけない。これさえなければもっといいのに・・。ここの店舗だけなのかな。
もちろん、息子はまたストーンヘンジ(ハンバーグ寿司)を頼んでいた。これとあれが似ていると、そう思った人はたくさんいるだろうが、その後実際現地まで行って自分の目でそれを確かめた人は、日本広しといえども数少ないであろう。やれやれ。
午後、ダイソーへ行き、USB-Cのコードを買う。スマホが新しくなったのに、車載の充電ケーブルがLightningばかりだなと思って、買い足したのだ。とはいえ、まだ車内では一回も充電したことがない。電池が長持ちするので出先で充電しなくても事足りている。ずっとこうならいいのに。
夕方、整骨院に行って帰宅。どこからか沈丁花の匂いがして、春だなと思った。だいぶ暖かくなったけど、来週また寒くなるという。
ところで、フランスはルーアンもパリもとっても暖かかったのだ。とはいえ最高気温が16℃とかそんなものだったと思うのだが、街角のオープンカフェでは肌をあらわにした半袖どころかノースリーブドレスの女性が必ずいて、びっくりした。あの人たち、春の訪れを過信しすぎ。喜びすぎ。
帰宅してから、少し生地を切ったり、料理をしたりした。ディズニープラスにアリーマイラブが入っていることをadmiの人(あのブロックプリントの、テキスタイルデザイナーの)のThreadsで知り、大喜びして見始めた。しばらく作業BGMに困らない、嬉しい。ありがとうadmiさん。
日本アカデミー賞を途中から見始めた。石原さとみのお腹が大きいのをここで初めて知る。何もかもが光り輝くように美しい。
☆2025/03/15
時差ボケを解消すべく、頑張って目覚ましをかけ、ゴミ出しの時間に起きる。なんとか二度寝せずに済んだ。家にいるとうっかり寝ちゃいそうだなと思っていたが、ともちゃんからランチ行ってちっちゃいIKEA行こーというお誘いが来たので、しめたと思ってお出かけ。
もうちょっとおしゃれなとこでもよかったのだが、なぜかアリラン亭に行って肉を焼いた。あそこのランチは安いし美味しくて満足度が高い。ともちゃんと行くのは初めてだった。
(二人とも水キムチは苦手だということがわかった・・・笑)
それからニュウマンにいき、ヌキテパで、あれ以来お会いできていなかった同じ誕生日の店員さんとタイプロの話になる。ロイくんは確定だと思っていたのにね・・としょぼんとなる。まあもはやひと月前のことなので、ショックはだいぶ薄れているが。
ともちゃん「うちの母が入会しました!」店員さん「うちの母もですよ!寺ちゃんで」ともちゃん「うちの母もです」という会話があった。なんなんだ、母世代からのこの支持率は・・。
IKEAはすごい混んでいたし、品数も少なかったが、ちょっとジップ袋が欲しいような時にはいいかもしれない。たぶん今後も用事があるときは普通に港北に行く。ロピアも隣にあるしな。実はこれ大きい。
そんで、ルミネで息子と旦那さんに贈り物を買う。ニュウマンに戻ってアイスクリーム食べて、選ばれし浪費家のみが集うラウンジでコーヒーを嗜み(混んでた)、下のスーパーで椎茸を買って帰った。どうやらわたしは、美味しそうな椎茸を見つけると「おいしいたけ!」と小声で叫ぶ癖があるらしい。毎回そう言ってるらしいことが判明した。
それにしても、ドッキリのパイクリームって甘いんだねえ。ちゃんと味付けしてあるものだとは。ふつうは味わうものじゃないから、味はないものなのかなと思ってた。あれの味に言及してる人を初めて見た。
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