ローズベーカリーで食べたオムレツ!おいしかったなあ。
☆2025/03/01
図書館に本をとりに行ったあと、腰痛を少しでも良くしたいので整骨院へ。
まほろ田先生がしっかり見てくれた。よくなるといいなあ。
なんでそういう話になったのかは忘れたが、最近ハーゲンダッツのCMがすごくいいんですよと話した。
この女優さんの、目に涙をたたえて微笑む様子が素晴らしいのだった。
こんなふうにミルクの缶やら哺乳瓶やら何もかもがクラッカーに変わり、パーンと弾けて紙吹雪が舞い、銀テープが飛ぶような喜びや幸せの瞬間が、これまで自分にもたくさんあった。遅かった言葉が初めて出た日のこと、何回も注意して教えたことをしっかり守れるようになった時のこと。
小学校に入って、運動会でみんなと踊ったり、応援団に立候補して副団長をやったり、読んだ本の感想を教えてくれた時のことを。習い事でできなかったことができるようになった時のことを。全部見てきたはずなんですよ。でも、一体どこで見落としたんだろう。
ずっとちゃんと見てきたはずなのに。息子はどこかで何かが辛くなったんですよ。でも気づいてやれなかった。高校の制服がとっても似合っていて、毎日お弁当を持って学校に行って友達と遊んで帰ってきたのに、最後に元気な制服姿を見た日のことも、弁当を作った日のことをも、いつでどうだったのか、もういくら頑張ってもはっきりとは思い出せないんです。
途中から話があさっての方向へ行き、ちょっと泣いてしまったのだけど、まほろ田先生はドン引きしたりしないで、ちゃんと腰を治療しながら聞いてくれた。
息子は手に持ってたものを全部ぶちまけて転んだけれど、本人の準備ができるまで、どんなに起こしてあげたくても、私にはできないのです。ぶちまけたものの中でどれを拾うか決めて、自分で立ち上がるまで待つしかないのです。少しずつでも様子が変わって自分にとって良い方向に進もうとするのを、黙って見ているしかできないのです。
きっと私は、本当は結構辛いんでしょうね、スイマセン急に。と、めそめそしながら言ったのだが。先生は、きっと僕もいつかぶつかる壁ですから・・そういうのがきっとありそうな気がする、とまじめに頷いて聞いてくれていた。こどもが大好きだから、いつかはきっと授かりたい、もういつでも親になりたい、と思っているのだと。
もしその日が来たら、奥さんと一緒に両親になり、子どもを幸せにするために全力を尽くすのだろう。そして、いつか手を離さねばならないことに悩むかもしれない。そんな話をした。いい親になるだろう。温かい心を手と持つ人だ。
泣いたらちょっとすっきりしたが、もちろん腰痛は、そこまで劇的には改善しない・・・。決して無理をしないように言われ、院を後にしたのだった。
☆2025/03/02
journalの更新を飛ばしたかのように思われていそうだが、今いるところでは、まだ2025/03/02なの。夜の7時前くらいだと思ってください。ロンドンにおります。
どこから話したらよかろう。
正月に大阪に帰った時に、レンタカーを借りて息子氏と二人でドライブに行ったんですよ。ちょうどその頃、少し先に関することを色々と決めねばならないデッドラインが来ていて、でもあまり本人はそれに触れてほしくなさそうな感じだった。
そんな時に、ちょうどそういう機会があり二人で出かけることになったので、今何かしてみたいことはないのか聞いてみたら、ヨーロッパの石の建物の本物を見てみたいって言ったのよね。ハリーポッターとかに出てくるようなやつを。もしくはピサの斜塔的なやつを。
う〜む、ロンドンかローマだったら、ママはロンドンの方が行ってみたいかなあ・・。まあ用事がないこともない(?)。「行ってみる?」と軽い気持ちで聞いたら、息子氏が目を輝かせて「行くわ!」と言い出したので、もう後に引けなかった。こんなに何かしたそうな息子を久々に見たのでびっくりした。
この状態の子どもに行きたいと言われたらもう、なんとかして連れて行くしかない。もし行ってみて楽しかったら、今後一人でも行けるようになるために英会話だけはちゃんとやろうと思う、と言っていた。まあやらなくてもいいし、やってもいい。やっぱり海外向いてなさそう、と思ったらずっと家にいてもいい。向き不向きが一つ判明すれば、それでいい気もするし。
さて、そのとき安請け合いしたはいいが、よりによってその大阪からの帰りの飛行機がもう、今まで体験したことがないような恐ろしい揺れ方をだったの。両側の息子と旦那さんにあおい顔でしがみついていた。それで、すっかり飛行機が怖くなってしまった。
ヨーロッパまでは最低でも、片道14時間は飛行機に乗らねばならない。怖い。もし外の空気が吸いたくてたまらなくなって、過呼吸や眩暈を起こしたらどうしよう、と考えると脂汗が出てくる。最後に長時間のフライトを経験してからもう30年近く経つので、自分が機内でどうなるのか全く予想がつかなかった。
いつもここを見てくれている人なら気づいたかもしれないが、今年になってから、海外で嫌な目や恐ろしい目に遭う夢を、本当に何度も見た。だが、約束したからには果たさねばならぬ。そもそも、自分は家でこたつに入っていたいのに、息子には元気に活動する人生を歩んで欲しいなど願うのはフェアではない。まずは、自分が冒険するところを見せなくては。
横浜に戻ってまず、もちろん、ともちゃんに相談した。 いいじゃん!行ってきなよ!と背中を押し、先年にママとスペイン・フランスの旅を申し込んだという旅行会社に行くようにアドバイスをくれた。まずはパスポートを取れというので、翌週すぐに取りに行った。
次に、海外でのワンオペ育児マスターであるちろちゃんにLINEした。
今回、この話をしたら旦那さんは行ってきなよと言ってくれたのはいいが、自分はあまり古い歴史やなんかに興味はないので、行くならヨーロッパではなくアメリカとかカナダとかに行きたいという。それはまた別の機会にということで、まあお猫様もいることですし、今回は私と息子の二人旅に決まったのだった。
親ってなんの役にも立たないなあと毎日思っているが、こういう時保護者として付き添うことはできる。しかし、この頼りない、日本国内でも色々とおぼつかない私が、添乗員付きツアーとはいえ息子氏を保護者一人の状態で国外に連れ出すなんて、そんなことできるだろうか。
ワンオペマスターちろちゃんいわく、たいていの心配ごとは起こらないから大丈夫、大体のことはお金で解決できるから添乗員のいるしっかりしたツアーを選ぶべし、そして旅は人生の財産だとのことであった。心に響く、なんとも具体的なアドバイスであった(笑)お金ね。
その後すぐ旅行会社に行って申し込みをし、支払いをした。費用の話を息子氏として、これだけ払ったし、頑張って元気に行こうな!一回旅に出たら、起きられないとか間に合わないとかはなしだぜ!国内じゃないんだから!というような会話があったなあ。
・・・かれこれもう24時間以上起きているのでもう寝る。明日はハンバーグ寿司の本物を見に行く日だ。
☆2025/03/03
さっき眠りについたのが現地時間の午後8時くらいで、深夜1時半に目がさめてしまった。壁を隔てた廊下や隣室から英語のお喋りが聞こえてくる。海外なんだなあ。
さてみなさん、こんなに渡航を恐ろしがっていた私が、実際機内でどうだったか気になりませんか。実際は、拍子抜けするほど大丈夫だった。気合いのおかげか、アネロンニスキャップのおかげかは、さだかではない。たぶん抗ヒスタミン作用があるから、パブカプとかと同じで、全ての刺激に対して気持ちがまろやかになるのだ。アネロンにもその作用があるらしい。
このMacは手荷物に入れていたので足元にあったが、エコノミー席は狭く、したがって息子と結構席が離れたので占有面積が狭くなり、Macを開く空間的余裕はなかった。開いてる人もいたけど。離陸してすぐに最初の機内食が終わり、機内が暗くなった。iPhoneにその時の気持ちをメモしていたので、ちょっと記録をコピペしてみよう。
通路側でも窓側でもない真ん中の席にいる。離陸してから3時間ほど経った。
いまたぶん、ロシアの領空を飛んでいるんだろうなと思う。戦争をやっている国の上を飛行機で飛ぶのなんて初めてだから、少しどきどきしている。
さっきから左斜め前の席の人が「バックトゥザフューチャー」を、右斜め前の席では「室井慎次 破れざる者」を、それぞれ見ているのがシートの隙間から見える。結構よく見えるので内容がよくわかる。
自分はというと、どれも魅力的なプログラムではあるが、沢山の選択肢が提示されると迷ってわけがわからなくなるもので、なぜかライブ配信のNHKワールドでのど自慢(長野県塩尻市)を見てしまった。
そうこうしている間に左前ではBTTFが終わり、新たなる問題を解決するためにドクとマーティは未来へと向かうのであった。そしてまさかのBTTF2が始まった…こりゃ蒸気機関車をタイムマシンに改造するとこまで行くな。
そして右前では案の定、「室井慎次 生き続ける者」がはじまった。シリーズものは人気。
ここまでコピペである。この後、自分も何か見ようと思い、色々ある映画の中から「ラストマイル」(満島ひかりちゃんの)を選んで視聴。それから1時間くらいウトウトとし、起きてから結局自分も室井慎次シリーズ2作品を見てしまった。
左前のBTTFを見ていた白人男性は、結局その後パート3までドクとマーティの冒険を見た後、たぶんワイルドスピードか何かを見ていた。室井慎次2作を見ていた日本人男性は、おそらく30〜40代くらいであろう。その後は、トップガンマーヴェリックを見ていた。
右隣の通路側席の20代の女の子は、ブラッド・ピットが好きなのか、「ウルフズ」を見た後、「ジョーブラックをよろしく」を見ていた。
左隣の窓側に座った同年輩の男性は、ロバート・ダウニー・Jrとジュード・ロウ版の「シャーロックホームズ」を見たあと「ボヘミアンラプソディ」を見て、「ラブ・アクチュアリー」を見始めたので、英国への旅に備えている感めっちゃあった。
しかし、彼はとにかくヘッドホンからの音漏れがすごくて、わたしが室井シリーズを見ている間、こっちは秋田の池のほとりで遺体発見したり、雪の中殺人鬼の娘が心中を吐露したりしているのに、クイーンの曲やらクリスマスの曲やらがモロに被ってくるので、不思議な感じだった。総じて面白かった。
周りを観察することで、フライトの怖さを紛らわせていたのかもしれない。
ヒースロー空港について、最近はパスポートを顔認証することで無人改札みたいなところで一人ずつ入国手続きをするのだけど、私のすぐ後をついてきた息子氏はなかなか出られず、アクリル板を隔ててこちら(イギリス)と向こう(空港内)に別れてしまった時、ちょっとだけ焦った。
このままダメだったらこの子が有人の窓口に一人で行かねばならないのか・・?と不安だったが、後ろから係員に何事か話しかけられ、その後無事に通過してきたのでひと安心。なんて言われたのか聞いたら「remove cover っていうからパスポートのカバーとったらいけたわ」とのこと。息子氏、初めての英国人との接触と入国であった。
さて、これを書いてる今は22時台。まだ2025/03/03。
今日は朝からストーンヘンジに行き、その後バス移動して、オックスフォードの街を歩いた。お昼はフィッシュアンドチップスで、魚を揚げたものを食べると必ずお腹を壊す私だが、これはまあまあおいしく食べられた。だが量がやばかったので、半分くらいしか食べられなかった。息子氏は気に入ったようで全部食べて、私の分も少し食べていた。
オックスフォードではクライストチャーチをしっかり見た。息子氏、念願の石の建物を堪能していた。しかし、途中から足裏が痛くなってきたらしく、だいぶ疲れた状態で帰りのバスに乗ったのだった。私の腰痛は、アドレナリンのせいか今のところどうにかなっている。
赤と青のガウンを読んだときには、まさかこんなに早くマートンカレッジを見に行く日が来るとは思っていなかったなあ・・・。何もかもが急だった。でも、いつか行きたいと思っていたから嬉しい。機会を作ってくれた息子氏に感謝だ。
ロンドンに戻ってきて、夕食はツアーに組み込まれたコテージパイの店に行ったのだが、参加者みんなお昼の揚げ物類が胃にもたれていたせいか、誰もおいしそうに食べていなかった・・・(笑)息子氏も苦手だったみたいであまり食べなかった。
ご飯の店では、必然的に同じテーブルについた人たちと会話することになる。このツアー参加者は、女二人連れが数組と、若いカップルが2組、熟年の夫婦が2組くらい・・嫁と孫と一緒にきた80代のおばあちゃんが最高齢で、16歳の息子氏が最年少である。たぶん、息子が母親と来るのはレアケースなんだろう。何か聞かれた時は「ちょっとこの子自分探し中なんです」と答えることにした。まあ、向こうも察してくれる。
夕飯の際に向かいに座った女の子たちに、どうしてこのツアーに申し込んだのか聞いたら、ワンダイレクションのファンなんですという。片方の子は去年亡くなったリアム・ペインが一番好きだったらしく、悲しそうだった。明日の自由行動では、推しの過ごした街を巡るのだ。いろんな動機の人がいる。
☆2025/03/04
明け方の5時半に目が覚めた。日本はおやつくらいの時間だろうか。ちょっと頭痛がするので薬を飲む。ついでにいつも飲んでる内膜症の薬も飲む。
息子氏は、ゆうべ部屋に戻って9時くらいには寝てしまい、まだ目が覚めていない。ぐうぐうと寝ている。ストーンヘンジは世界遺産かもしれないがただのでっかい石だった、オックスフォードには人の作った文化と歴史があったのでそっちの方が断然良かった・・と言っていたなあ(スシローのハンバーグ寿司には、言うほどそんなには似ていなかった)。
ママは結構ストーンヘンジ好きだったよ。自分の産んだ子とふたり、こんなに遠い世界の果てみたいなとこまで来れるなんて。ツアーの参加者ともまだ話す前で、時々すれ違う韓国人と日本人の区別もつかず、たったふたり感めっちゃあった。
夏至にはここにたくさん人が集まり、皆で日の出を見るのだという。いつも夏至にはチャリティ販売をしながら娘のことを思っているけれど、今年からはきっと、ここに集まる人たちのことも想像するのだろう。どうかな、忘れちゃうかもしれないけど。
クライストチャーチでは、私はすごくいい加減で、貸してもらったマルチメディアオーディオガイドなんてほったらかして細部の装飾やらステンドグラスの内容やら肖像画に書かれた文字なんかに目を凝らして好き勝手に見ていたけれど、息子はちゃんと番号ごとにボタンをしっかりおして、真面目に日本語解説を聞きながら見ていた。
石の建物の本物を見てみたい、という旅の動機は本物だったのだ。
ただ、よほど足が疲れたらしく、帰りのバスでは今後の行程がちょっと不安になっていた。イギリスにいるのは明日までで、その後はフランスに移動する。そういうツアーしかなかった。でも息子の好きな建築物はまだまだ見られる。集団行動が苦手な我々親子だが、頑張ってついていきましょう。
ロンドンのホテルに戻ってきて、ベッドに転がって「何か炭酸系の飲み物が飲みたい・・」という息子氏のために、歩いて10分くらいのところにある小さいスーパーへ行く。テスコエクスプレスという名前で、日本で言うまいばすけっとやマルエツプチくらいの大きさだった。
日本の都心より騒々しくなく、人もまばらな住宅街の歩道を歩いていき、いろんな人種の人とすれ違う。おそらく地元の人が利用するスーパーで、数人が出入りしていたが、アジア人は一人もいなかった。スプライトとファンタと水を買い、また同じ道を一人で戻る。
初めて来た夜の街を、住宅にともる灯りを眺めながら黙々と一人で歩いていると、いい意味で孤独がくっきりとする。旦那さんと結婚してから、こんなふうに完全に一人になったことなどなかった。結婚するまえ自分がどんな人間だったのかもう思い出せないが、少しだけ若かった頃の感覚が蘇ってくる。自分で何もかも決めて生きていた頃のことを。
旦那さんは、私が一人で外国の夜道を歩いていることを知ったらどう思うだろう。たぶん顔を顰めて心配するんじゃないかと思う。横浜にいても、夜に一人で徒歩で投函などに出かけようとすると、いつだってちょっと心配そうにする。
私は旦那さんが大好きだが、たぶん心配させないように行動することで、自分が本来持っていたはずの力が、だいぶ削がれてしまっているのかもしれないと思った。その代わりに、本来あまり備わっていなかった、人のケアをする能力の方はだいぶ発達した。だから今息子氏を連れてここにきているわけだ。
また、女友達ときたら全く違う旅になるのだろう。いつの日か、そういうこともしてみたい。
ところで、昨日も空港からホテルについてから大きめのスーパーに行った。駅前の大きなショッピングセンターの端の方に入っているウェイトローズで、日曜だったから閉まるのが早く、駆け足で色々見た。やはり飲み物と、ボンヌママンのクレームブリュレを買った。インスタにあげた通り。
そんで、深夜に目が覚めた息子氏と、明け方それを一緒に食べた。まだ明けやらぬ未知の街のホテルで、息子とくだらない話をしながら食べる外国のカップスイーツは、格別の味であった。
☆2025/03/05
昨日はロンドンを観光し、それなりにいろいろあったのだが、朝が早いのでとりあえず棚上げ。明日は移動日なので更新できないかもしれない!元気に旅を続けております。皆様、ご心配なく。
さて現在、こちらは03/05の23時過ぎです。ユーロスターでフランスに移動しました。
ロンドンは一筋縄ではいかず、疲れた息子氏がぎりぎりで午前中のツアー予定を飛ばすという暴挙に出たのであった。成長期で体の大きさが変わったのと、ここ半年ほど部屋にこもっているせいで、足裏や膝に痛みが出ているらしい。
私も一緒にホテルにいるつもりだったのだが、息子氏に「おれの気分や体調のせいでママの外出予定を左右したくない、もう子どもじゃないんだから部屋に置いてママだけ予定のところへいってほしい」というのである。まあ、確かにあと数日で17歳なので子どもとは言い難いのだが、大人かと言われればまだそうでもない。
まあこの日のツアーは、ウエストミンスターを見学してから大英博物館を駆け足でちょろっと見て午前中で終わり、後は夜まで自由行動という日だったので、とりあえずキャンセルについて添乗員さんに部屋に来てもらって相談。
動揺する私をよそに、自分の言葉でしっかり今の状態を添乗員さんに伝え、「明日フランスに移動できないと困るんで今日は休みます、母は行きます」と伝える息子氏・・・。こっちは、海外で離れ離れになるなんて耐えられないんだが。しかし、添乗員さんが「ご本人がホテルにずっといるというなら、この年齢でこの様子ならば大丈夫です」というので、結局バタバタと準備して私だけが参加することになった。
ウエストミンスターは墓、大英博物館はミイラと、もはやどこもかしこも死体だらけである。息子氏がいないことで気が滅入り、結局心からは楽しめなかった。
だが、昨日は息子連れで参加していた私が一人でバスに乗ったことで、まあみんなおかしいと思うよな。前日に夕食の際同じテーブルについた(ちょっと不躾なもの言いの多い)60代くらいのご夫婦の、奥様の方に「息子さんはどうしたの」と聞かれたので「ちょっと疲れたので今日はホテルで休んでいます」と答えた。
そのまましばらくツアーを回っていたのだが、大英博物館の終わりの方でまたその人に捕まり、「ねえ、心配じゃないの??」といきなり聞かれたので、びっくりして頭が真っ白になった。
「心配です」え?「心配ですもちろん」と、真顔で答えてしまった。全て本人の希望であって具合が悪いわけじゃないんですけど、心配じゃないわけないですよねえ!心配ですよ。そう答えたら、ああそうよねえ・・となどと言って、そそくさと消えていった。
涙を溜めてそのままついていったら、一連のやり取りを見ていた50代くらいの女性が「心配よね、でもきっと本人の気持ちがあるのよ。大事にしてあげて。せっかくだから楽しもう。一人が寂しいなら、よかったらお昼一緒に食べに行く?」と声をかけてくれた。
痛みのわかる、優しい人もいる。彼女はお姑さんと娘と3人でこのツアーに参加しているらしい(あとでネームタグで分かったことだが、優しいその人の名前はTOMOKOさんだった。何かの縁かもしれない)。他に一人で行きたいところもあったので、そう伝えて感謝の言葉を言ってお別れしたのだった。
その後すぐ解散になったので、息子氏にお昼食べにいかないかメールするも、まだ休みたいから行きたいところ行ってきて、部屋に食べ物はあるし、出かけるかどうかは夕方もう一回考えるからとのことだった。
がっくりと肩を落とすが、添乗員さん(チャキチャキした感じの、陽気な女性)に「こうなったら今日はママは、お買い物を楽しみましょう!」と言われ、まあそれもそうか・・と思い直し、一人で行きたいところへ出かけることにした。ロンドンで降ってわいたおひとり様時間である。
それにしても、やってくれたなあのおばさん。人の痛むところを見事に一発で的確にえぐってくれたもんだ。外国でホテルに子供を放置してきて自分だけ楽しんでるなんて親としてどうなのということを、一言で端的に指摘。夫婦ともにでかい声で喋るのでまる聞こえだが、もう成人したような子が3人いるらしい。3人も育てたのにそんななんだな、何の問題もなかったんだな、と少し羨ましく思った。
いつまでもそんなことを引きずっていたら先方の思うツボだよなあ・・と思い、腹が立つのでその後は一人で行きたいところに全部行ってやった。で、夕方くらいに部屋に帰った。
せっかくロンドンに来たのだが、ケンジントンの方なのであまり観光地らしくはない。いわゆるロンドンらしいものを息子氏に何も見せないで帰すのは本当にしのびないではないか。何か食べに行こうよ、と誘ったら行くという。そこで、頼れる添乗員さんに相談し、例の赤い二階建てバスの乗り方などきき、疲れない程度にちょっとだけお出かけすることにした。
昼間一回行ったウエストミンスターまでバスで行き、そこからビッグベンを見て、テムズ川沿いを歩き、ロンドンアイでみなとみらいのコスモクロックを思い出したりした。日本食が恋しいというので、杵屋麦丸に行ってうどんを食べ、小さくて騒々しいアンダーグラウンドに乗ってホテルまで戻ってきた。楽しかったなあ。
いわゆる枠からは外れてしまったかもしれないが、これが私たちのロンドンの素敵な思い出である。できることをして、楽しめる範囲で楽しんで、人から何を言われても自分のしたいことだけする。それは、日本にいても海外に行っても同じだ。
そして、これは本当はここまでにもっと私が痛感せねばならなかったことだが、私から発生した細胞で私の腹から生まれてきた息子氏だが、当たり前だけど別の人間なのだ。したいこともしたくないことも、本人がその場で決める権利がある。
無理強いはできないと頭ではもちろんわかっているし、本当は日本にいたってずっとそうやって生きているが、まさか海外でもこうなるとは!とちょっとパニックになってしまったのだ。そして、息子氏の方は私に合わせてほしいとは思っていないということもわかった。そうされると辛いのだとはっきり言われた。ならば、よその人に何を言われようと関係ない。
それでも、慣れない街を一人で歩き回り、その後子連れでも歩き回って疲れたので、夜ふとしたきっかけで、ちょっとベッドで泣きだしてしまった。明日になっても息子氏がまだこのキャンセルモードのままで、フランスに行けなくて、ツアーを離脱することになったらどうしよう!と思ったら、不安で涙が止まらなくなった。
そしたら、息子氏が「わかった、こんな時はパパに電話をかけよう!」と言い出したので、FaceTimeオーディオで連絡してみたら、明け方だったと思うのに電話に出てくれた。
私がよその人に言われたことで、一緒に心を傷めてくれたようだった。そんなこと気にしたらあかんよと諭され、電話の向こうではリンリンとリサの鈴の音が聞こえ、ニャンーニャンーと鳴いている。完全にホームシックになる我々だが、旅はまだ続くのである。明日はちゃんと起きてフランスに行くんやで、と旦那さんに諭される息子氏だった。
はたして、息子氏はちゃんと起きて、我々は今フランスにいる。
ルーアンでモネの描いた大聖堂を見たのだが、息子氏はいたく気に入ったようで、石柱の下の方の彫刻の作りなどをさわりながら見入っていた。こんなに鮮やかな色のガラスを、当時どうやって作ったんだろう?などと興奮していた。やはり、石の建物の本物を見たいという動機だけでここまできただけのことはある。
☆2025/03/06
おはようございます。
息子氏はこっちにきてから、足が痛いのと、あとは食べ物が合わないのが一番辛いようで、フィッシュアンドチップスとかチキンナゲット以外は、あまり美味しいと思えていないようだ。ああコンビニのおにぎりが食べたい、まさかあれがおれにとって世界一美味しいものだとは思いもしなかった。建物は見たいけど日本に帰りたい、と漏らしていた。とほほ。
そうなった時用に、持ってきたカップうどんやラーメンがまだあと少しある。回復したいから、無理に朝ごはんに起こさないで、と言ってゆうべは早々と眠ってしまった息子氏。この後の予定にはちゃんとついて来れるんだろうか。不安で頭がいっぱいである。
誰かの応援が必要なので、これを読んだ人は皆、心の中でゆきちゃん親子の安全旅を心から祈っててください。もう旅は半分終わっている。がんばります。
☆2025/03/07
ルーアンのあと、バスでモン・サン・ミシェルまで移動して一泊しました。ここ二日は移動日でした。今のところ、予定を外さず何とかツアーについて行ってます。
↑のjournalのあと、息子氏はちゃんと起きた。朝ごはんは外したけど、カップうどんを食べさせてことなきを得た。
そうだ、集合の時、またもやあのおばさん(ロンドンで心配じゃないのかと言ってきた)に絡まれた・・。「朝ごはんに来てなかったけどお腹空いてるでしょう」と息子氏に直接尋ねてきて「日本からカップうどん持ってきてたんで部屋でさっき食べました」と答えた息子氏に「えっ朝からカップ・・・」と眉を顰めていた。本当に余計なお世話だ。
その後、モン・サン・ミシェルの観光はちゃんとした。食べ物も、合わないなりになんやかんやで食べている。息子曰く、イギリスよりフランスの方がだいぶマシな味らしい。
その後シャルトルに寄って、今パリです。予定のツアーはあと1箇所で、そのあとはフリーなので、それさえ飛ばさなければ何とかなる。ただ、パリのホテルの空調がうまく効かず、体温調節がうまくいってない息子は、なかなか寝付けなかった。朝からの予定についていけるか、ちょっと嫌な予感がしてます。3時間後がおそろしい。予期不安でバクバクする。
旦那さん曰く、私がロンドンでホテルに残った息子から離れていた時、その距離は大体、我が家から横浜駅くらいだったらしい。そう言われてみれば、本当に大したことないな。
☆2025/03/08
結局、息子はちゃんと起きて、私が楽しみにしてたベルサイユ詣で(?)に一緒に参加した。よかった。いや〜。バロックでロココでしたね、あそこは。今回訪れた中で、一番華やかな建物であった。
アントワネット様が逃げた隠し扉の実物を見られたのがよかった。息子曰く「思ったよりバレバレやん」とのことだったが、当時はもう少し隙間が目立たなかったのでは・・?
「マリー・アントワネットとその子供たち」の絵画があったのだが、子供たちと共に描かれているベビーベッドがなぜか空っぽで、ちょっと泣いちゃった。 泣くほどよかったんなら来てよかったね、と息子氏。あんまり興味がなくて、本当はちょっと飛ばしたい予定だったと思うんだけど、今回は付き合ってくれた。ありがてえ。
マランモンタギュがデザインしたトートがめっちゃ可愛かったんで、つい買っちゃった。もはや、私のスーツケースの中はエコバッグだらけである。
パリからベルサイユは、空いてればバスで30分ほど、混んでれば1時間弱くらいで、お昼にはパリに戻ってきた。牛肉の煮込み料理みたいなパリ名物料理をいただくはずだったのだが、お店に入る前に美術館の予約時間か何かで離脱した人たちがいて、それを見た息子氏は「エッ離脱ありなの・・・?俺も他で食べたい」と言い出した。
私はまあ、とりあえず牛肉の煮込みが何なのか気になったので、せっかくだからと息子氏を説得して、ガイドさんについてお店に入った。そしたら、お店の臭いがすごく苦手だったみたいで、おれ吐くかもと言う。確かに、エビの殻か何かを煮詰めたような匂いがして、私もあまり好きな臭いではなかったので、ちょっと辟易とした。
それでも出されたスープを大人しく食べていたのだが、ついに息子が耐えられなくなり、お願いだから出ようと懇願された・・・。牛肉は気になるが、ここまで頼まれたら否とは言えない。添乗員さんに事情を話し、謝ってお店を出たのだった。とほほほ。
それで、本当は夕飯の時間に行こうと思っていた一風堂に行くことにした。Googleマップを使い、20分くらいパリの街を歩く。
臭いから解放された息子氏はすっかり元気を取り戻し、一風堂で白丸玉子に替玉2つを食べて大満足していた。パリに来て横浜にもあるものを食べるのは邪道という感じがするが、まあ美味しかったからよし。本当に白丸の味そのままでしたよ。もやしはなかったけど。
その後は、一度行ってみたかったフィリップオーディベールまで歩いて行ってみた。手首につけてたお気に入りのオーディベールを見せたら、いかにもパリのマダムという感じの店員さんが、すごい張り切って翻訳アプリを駆使して接客してくれた。日本では見かけないようなものを購入して満足。
その間、息子氏は椅子に座ってスマホで縦読み漫画をずっと見てたんだけど、最後にマダムに「No MANGA! Look Paris!」と説教されていたのが面白かった。
ボンマルシェをちょっとみて、そういえばギャラリーラファイエットに入ってないなと思い、地下鉄でオペラ地区まで戻る。
いやあ・・ともちゃんに怖いとは聞いていたけど、本当に恐ろしいところだった、パリのメトロは。走行中急に止まって電気が消えて真っ暗になったり、アコーディオン弾きが演奏しながら寄ってきて金をせびったりしてくる。震えて息子のパーカーにしがみついていたのだが、ママそんなビビってたら旅行者だってバレて舐められるよ、と諭される始末。とほほ。
結局、ラファイエットでは屋上から景色を見て、お土産ちょっとだけ買って、そのまま外に出てタクシーに乗ってホテルに帰った。息子曰く「あんな震えてるのパパが見たらもうタクシーに乗りなさいって言うよ」とのことで、まあ返す言葉もない。頼りない母ですまんな。
いや〜、パリはロンドンよりだいぶ難易度が高いね。あはは。
ホテルに戻って、何か食べるものを買いに、近くのモノプリにいく。ボンヌママンの焼き菓子があったら買おうと思ったのだが、残念ながらサブレとかしかなかった。移動中のサービスエリアにはあったのに!しかし、なぜか袋入りのポワラーヌクッキーが売ってたんで代わりにそれを嬉々として買う。家に帰るまでにだいぶ割れるだろうけど。
なぜかホテルの隣に小規模のラファイエットが入っていて、こぢんまりしていたのでゆっくり見たりした。greenのネイルが日本よりだいぶ安いので、うっかり買った。
明日は最終日だけど、お昼には空港に行くので、あまり予定入れたりせず、バタバタしないでゆっくりチェックアウトしようと思う。息子、普段引きこもりかけてる割にこの1週間かなりがんばったと思うので、もうあまり無理はさせたくない。
さて、明日は日曜日なので、またjournalが切り替わります。この日記はこれで締め。
パリのホテルのチェックアウトは12時で、先ほど済ませてロビーでこれをかいてます。出発は13時。その後はもう、空港へ行って出国手続きです。ああ、海外ワンオペ1週間は長かった。最後まで気を引き締めていかねば。
ロビーから外のセーヌ川を見ながら、ふとKANのことを思い出した。最後に奥さんと見たかったパリ、どんなに美しいところかと想像するだけだったけど、実際来てみると本当に美しい街だった。
午前中、隣のショッピングセンターに行った。セフォラでキラキラのコスメを色々見た中で、ささやかながらいくちゃんへのお誕生日プレゼントを買う。さいご2つにまで絞って決められず、ともこヘルプカードを切ることにして、LINEして決めてもらった(笑)
その後はまたモノプリに行き、旦那さんのリクエストでチーズやバターなど買う。息子氏に手伝ってもらい、色々探して何とか買い集めた。
帰りに黒服に止められ、レシートと荷物を全部チェックされたので、何も悪いことをしてなくても冷や汗をかいてしまった。息子氏、パリに来てからこの、いろんなお店の前に必ずいる強そうな(おもに黒人の)警備の人を「すごい、かっけえ」と憧れの眼差しで見ていたのだが、まさか捕まるとは思ってなかったのでちょっとショック。しかしまあ、何とか全部見せて照らし合わせてもらい、ことなきを得た。
パパのリクエストを電話で聞きながら、時に店員さんに英語やGoogle翻訳を混ぜてどこにあるか積極的に尋ねて、息子はいろいろなものを店の棚から集めてきた。みんなちゃんと教えてくれて、優しくていい人たちだったらしい(黒服さんだけこわかった)。
家で待つ家族のためにお土産を選ぶ時間っていいものだな、と思った。パリの最後は、息子と過ごせた、とってもいい時間だった。結構大変で気が休まる暇がなかったけど、一生思い出に残る旅となったと思う。
ところで、私は昔からディズニーランドが本当に苦手なのだが、息子が生まれてから、2〜3回行った。ディズニーを楽しむ息子を見に行くのであって、ディズニーそのものには本当に興味がないのだが、行ってみたら割と楽しかったし、どんなものか知ることができた。
今回の旅も、きっかけはそれと同種の動機だったのだが、実際旅してみると、自分も結構新しい発見がたくさんあり、ヨーロッパって綺麗でいいところだなあと本当に思った。息子の見たいものと私の見たいものが違ったり、違う人間だという感じがくっきりしたのもよかった。
美味しくないものも美味しいものもあったし、微妙なものも素敵なものもあった。ムッとしたり助け合ったりと息子とも色々あったのだが、旅の終わりに思い返すとなかなかよかった。
何となく、旅に出る前より二人ともレベル(経験値)が上がったように思う。息子は「ヨーロッパに行って、知らない街で自分で買い物したことあるやつ」にレベルアップしたし、私は「未成年の息子を一人で海外旅行に連れ出した母」にレベルアップした。他にも細かいステイタスがちょっとずつ上がっていたりするんだろう。
そして何より、このレベル上げのために、旦那さんは喜んで課金してくれた!文句ひとつ言わず、今ごろ私の冷凍してきたお好み焼きを解凍して食べ、日本で猫とこたつに入っているであろう。きっと明日は空港まで迎えにきてくれる。車運転できないから荷物運びを手伝いに来てくれるだけなのだけど、本当にありがたい。
早くパパに会いたいねえ、リサにもね、と言い合いながら、心はもう横浜の我が家に飛んでいるのだった。いやいや、まだここから14時間のフライトが待っている!大丈夫かな。アネロン飲んどかないとね。もうひと息だ。
5コメント
2025.03.10 04:59
2025.03.09 14:08
2025.03.07 08:23