空の写真は地雷


さて、私はこれを日曜の夜に書いています。パーティーがあった翌日の。

グランメゾン東京を終わりまで横目で見つつ、最後のパーティーになる旨の記事を、あっちに書いたところ・・・まじかよ、あんた本当にあそこで働くのかい玉ちゃん。サンプリングでラボンもらったし使うわ。




プロフィール欄からインスタをたどって、ここに来てくれる読者がどれくらいいるだろうか。・・・5人?

全く何の自信もないけど、とりあえず待ってみよう。


さて、あちらには書かなかったけど、パーティーにいって残念なこともあった。それは、おやつ類の数が足りなかったらしく、私たちにまで回ってこなかったことだ!!(笑)

なんてね、それは冗談!


・・・って、やっぱり本当。

だってね、お開きになってから最後まで会場で編集部の人と話してて、帰り際にテーブル見たら、取り分け皿にのった状態で残されたプチスイーツがたくさんあったの、見ちゃったから。

そういう食べ散らかし方する人、数年前にはいなかったのになあ。本当に変わっちゃった。

出席してよかった。なんか、かえっていろんなことに未練がなくなった。

もうあそこは違うとはっきりわかった。



理由はほかにもいくつかある。


ひとつ目は、今回のパーティーで、今後はメンバー全員を平等に扱うのではなく、明確に優劣をつけていく方針だとわかったこと。その基準は単純明快で、とにかく多くのPVを集めた者を数名選んで表彰し、賞品を贈るというものだった。ほほう・・今後はこういう感じの人らを奨励していくのね。と、拍手しながら納得したのであった。なんだか腑に落ちた。まあ、がんばってほしい。


こんなことは、10年やってて本当に初めてだ。一体何のためにそこまでするのかはよくわからないが、競争させるためだろうか?
それにしても、見事だった。とっても明確に、向こうの正解を提示してくれた。そりゃ私が残れないわけだ。

だって、毎月雑誌に載ってるような何万円もするようなワンピースやコート、そんなにバンバン買えないもん。年間に一体いくら使うのさ。そうでなければ、数か。しかし、普通に母やって妻やってがま口屋やって暮らしながら、毎日とか日に2回とか更新するなんてことは、とても無理だし。

・・・そのスタイルを皆の前で奨励するって仕組みだと、もろもろの全てがどんどん過剰な感じになっていって、場の空気みたいなものの質は落ちていく気がするんだけども。なんか見てて不安になってこない?


会場では、1年目の人も数人、嬉しそうに声をかけてきてくれた。

こっちもなんだか嬉しかった。まだそういう・・・前からあそこを好きで見てくれて、長くやってるTBの顔を見て判別できるくらい、個々に興味持ってくれてる・・・ような人も、入ってくるんだなあって。

(逆にインスタで3年近く繋がってるのに、声かけたら「どなたですか?」と怪訝な顔で聞いてきた人もいたなあ。あはは!明快で正直な人だ。手作り品のネットショップ運営に興味があったからフォローしてくれたんだな、きっと)


そんで、余計なことかもしれないけど言っといた。

たくさんは更新できないかもしれないし、みんなが憧れるような高いものを次々買うなんて無理かもしれないけど、あそこのクオリティや雑誌らしさを守っていくのは大勢の普通の人たちだと思うから、一番に選ばれなくても、自分の生活のペースを崩さないようにして、頑張ってくださいって。

ほんとお節介だなあ。はずかし。



ふたつめは、これはいつここに書こうか迷ってたこと。今までにここで書いたどのことより真剣に嫌なことだったので、おそろしくて書けなかった。

タイトルに書いたけども、空の写真は地雷原なのだ。数年前に、ブログの項目に「暮らし発見」というのができて、買い物、おでかけ、料理、手作りのどれにも絡めることなく、それらとは関係ないことを書く人がポツポツでてきた。何かに関する個人的な考えや主張をそこで繰り広げるわけ。

それはかまわないのだけど、時々ものすごい酷いことを書く人がいる。ある時、ここでそういう言葉使うか!?とびっくりした。目を覆いたくなるような攻撃的な言葉を使う人がいたのだ。その時のことは、インスタに書いたのでよく覚えている。


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今週のびっくりドッキリメカ〜〜〜! かかと削るやつ…。つるつるになるけど、割るのが怖くておそるおそる使ってる(笑) ちょっと、メンタルを削られるような嫌なことがあった。色々と潮時かもしれない。 最近の自分は、何に関しても、あまり極端なことは言いたくない。 悪は、悪だ。間違いない。でもそれを大勢の不特定多数に対して断言する人間は、怖い。自分の正しさに一切疑問を持たないからだ。 極端に厳しいことを言ったり、特定の誰かを大っぴらに糾弾したりする人は、自分が当たり前で真っ当で、正しいことに疑いを持たない。自分こそが普通の感覚の持ち主だと思っている。 しかし、普通って何だ?自分の意見が一番普通で、それ以外を普通じゃないと言い切れるなんて、どれだけ傲慢なんだ。 アグレッシブなことを言って注目を集めたり一部に支持されることよりも、無言で離れていく大勢を傷つけないことが大事なんじゃないかと思った。 自分から好きこのんで、あなたの育ちや環境は普通じゃないと言われたい人って、いるだろうか。 追い詰められたことがない人は幸せだ。でも、だからって傲慢に、鈍感になってはいけない。 自分は普通だという括りで、安全な立場で大きな顔をして、それ以外を普通でない人たちと分類して傷つけてることだって、同じくらいいけないと思うのだ。 自らの暴力に気づいてないという点では、一緒なんじゃないか。 しかしきっと、こんなことをいくら言っても、本当に届いて欲しいところには届かないんだろうなあ。義憤に駆られたように色々言ってても、所詮、ワイドショーや野次馬とあまり変わらないのだ。しかし、そのことに自覚や恥があるかないかで大きな差がある。 本気でその問題について真剣に考えているなら、グルメやファッションを明るく楽しく大勢に語るのと同じ場でそれについて持論を展開するのは、軽々しく失礼にあたるんじゃないかとは思わないんだろうか。 しかもその舌が乾かないうちに、しれっとまたグルメやファッションに戻れるなんて…本当に、普通って素晴らしいことなのね。涙が出る。

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あれは、目黒の虐待事件の少し後のことだった。確かにあれは酷い事件だった。

でも、最初の報道が出てすぐのことで、ニュース番組もワイドショーも連日いろいろ騒いでいるけれど、まだ事実関係もよくわかってない状態だった。だから、あそこでそのことについて言及する人がいるということにまず驚いた。読み進めてもっと驚いた。言いたいことはわかるしその意見についてどうこう文句をつけるつもりはないが、こういうところにそれを書いてどうするのだ。

あまりに鋭く深く心に刺さったので、忘れられない。「母親なら子供を命がけで守るのが普通」・・・「自分は普通の母親だから」・・・「きっとDVのせいで母性が奪われた」・・・極め付けは、「精神異常」という言葉を使っていた。それは、マスメディアの場では無闇に使ってはいけない差別用語だと思うし、たとえwebやsnsであっても、読者を不愉快にさせる言葉だ。あまり使ってほしくない。

ものすごくショックだった。どうして憶測でそこまで言えるんだよ。現場を見たのか。ここはヤフーニュースのコメント欄じゃないんだぞ。極限まで追い詰められたことのない人間が、どうして極限に追い詰められて正常な判断ができなくなった母親の心境を、勝手に判断してあれこれ語れるんだ。

そもそも、追い詰められたことのある人間なら、きっと罪を犯した他人に対して、あの種の公の場所で無闇に石を投げたりはしないだろう。一度きりの人生なのに、もうこのあと何年生きても、それしか残っていないのだ。そのことを本人だって一番わかっているなずなのだ。

なぜそうでない人が、安全なところからあれこれ言えるんだ。ああいう場所で買い物や食べ物の話をしていられるだけで、どれだけ恵まれているか。なぜそのことを自覚しないで、わざわざここでそんな話をするんだ。

なんてむごいことをするんだろう、と怒った。思ったのではない、真剣に、怒ったのだ。

新作の口紅やら、人気のグルメやら、今年のセール品やらと並ぶようなところで一緒に語っていい話とは思えなかった。実際、そのあと同じ人がその舌の根も乾かないうちに、ラーメンやユニクロの話を投稿していた。なら、どういうつもりでそういうことを言ったの。

それで、あの場所が変わってしまったことが悲しくて我慢できなくて、インスタに言いたい放題に吐き出したというわけ。

もちろん、社会問題や事件に対する自分の個人的な意見はひとそれぞれだ。いろんな価値観の人が集まるだろう。でも、あそこに持ち込むのはどうかと思う。



レモネードの記事の最後の方にも書いたけど、酷いことをするなあ、見てていやだなあ、なんか不安になってくるなあと思えるようなことをあそこでする人とは、自分は一緒には活動したくなかった。だから潮時だなと思ったし、相反するけど同時に、こういう人が衆目を集めてTBになろうとしてくるなら、自分は石にかじりついても場所を明け渡したくないなと思ってしまった。


さっき、残る友人たちが憤慨して来年の話をしてきたのをちらっと聞いのだけど、私がそう思った人、見事にみんな残るらしい。時には人品を疑いたくなるようなやり方で衆目を集めるのを、容認どころか奨励するということだ。つまり、そうやってとにかく閲覧数を増やしていく方針なのだ。


そうわかって初めて、向こうから辞めるように言ってくれたことを、本当にありがたく思った。とてもじゃないけど耐えられなかった。本当は自分から出て行くべきだったのだが、やはり踏ん切りがつけられなかったと思う。


そして最後に、結局私は、あそこがとっても好きだったんだなあってことがわかった。

とてもにぎやかで、あかるくたのしく、汚い言葉やデリカシーのない写真で侵されるべきではない、清浄な場所だと思っていた。

みんな人生いろいろあるに決まっている。でも、日々何かに感謝しながら、誰かを見下したりせず、なんとか普通に暮らしていこうとするからこそ、一生懸命で、美しいのだ。


でも、それは全部もう終わった。わたしゃ隠遁します。



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